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2021年9月24日金曜日

鰻谷寄席 9月席満席


 鰻谷寄席 2日目は満席だった 本日はテレビ収録があった 有線テレビのジェイコム寄席とのこと?いつ放送されるのだろうか 調べてみると寄席専門チャンネルをジェイコムではやっているらしい しかしちょっと違うみたい 地上波のジェイコムで日曜日の7時から放映しているとの情報もある これを一度見てみたい

今日もまた開口一番で喬龍さんが出てきた なかなかの男前である 若さが一杯というところだ 「延陽伯」だったがなかなかうまい この噺は合っていると思った さてプログラムに沿って進む 第1部 呂翔さんは「米揚げ笊」初めて見たが声も顔も上方らしい 将来有望です 楽しみ 幸せなら手をたたこうで登場の喬介さん「金明竹」舞台に余裕ありでした 楽しい舞台です 梅團治さんは「竹の水仙」地味ですがいい噺を聞かせてくれる 左甚五郎の噺は上手だ 歴史ものがいい 先月は鬼の面だったがこれも良かった

第2部は呂好さん「太鼓腹」久しぶりに拝見したがお坊さんのように頭を照からしていたのにはビックリ 今日一番の笑いを誘ってくれた 若旦那が太鼓持ちの繁の腹に針を打つ時の仕草が最高 「アイタタタ・・・」を何回もする度に笑った こんなに笑ったのは初めて 松喬師匠は「二人癖」を演じた マクラの女子大生の落研の噺も初めて聞いたが最高に笑った 「つまらん」「のめる」の癖を巧みに誘い出す話は先代の噺も良かったが今日も秀逸 第3部は松五さん「化物使い」久しぶりに舞台で見た 上方ではなかなかやらない噺 鬼太郎知ってるか?で笑わす そして鶴二さんは「時うどん」の予定だったが鰻谷寄席の話題(安い コアな年配のお客など)松鶴師匠の話 若い時分の道頓堀の舞台などを喋っているうちに持ち時間が来て終わり お客は喜んでいた

第4部は喬若さん「動物園」お目当てである 今日はトラの動きを熱心に演じた なんでも喬龍さんが今師匠から動物園の稽古をつけてもらっているとのこと 喬龍さんのために演じたかもしれない あまり上手すぎて途中で拍手が いつもの噺だが何回聞いても面白い噺である 学校寄席には持って来いのネタである 今日のトリは遊喬さんだったが時間の都合で早退した

今日も「ハノーバー」「雷ジャクソン」「パピヨンズ」の漫才があったが「雷ジャクソン」が新鮮だった



2021年9月15日水曜日

仁鶴師匠 ご逝去


仁鶴師匠が2021年8月17日にお亡くなりになった 1937年生まれ 享年84歳 1962年に松鶴師匠に入門 その後の活躍はご承知の通り 私が最後に師匠の舞台を見たのは10年くらい前 なんば花月であった 15分くらいの持ち時間では漫談のような話で舞台を降りた
仁鶴師匠の入門当時の様子を「青春の上方落語」で読んだ 枝雀師匠と同じくテレビやラジオの素人演芸会で大活躍していた 同じ時期である 先に枝雀さんが米朝師匠に弟子入り 続いて仁鶴さんが別の師匠に弟子入り 同じ師匠ではまずいと思ったようだ 25歳でこの世界に入った 当時の上方の噺家は20数名 なんとか60名くらいにしたかったようだ
仁鶴さんはとりあえず3年くらいは精出してがんばってやれば、向いている向いてないが分かるだろいうという気持ちだったらしい 仁鶴さんの親も昔は浪曲家を目指していたようで親の理解もあった 血筋というものか 
翌年の1963年に吉本興業に入る 松鶴師匠は松竹芸能だったが芸風からして吉本があっていたのだろうか 「吉本向き」と幹部が判断しスカウト 結果的にこれが良かった 吉本のお笑いにのったのである 1966年深夜ラジオでデビュー 私が大学2年の時である その後「ヤングおーおー」でも人気者になった あの独特の喋り方が印象深い
何度も舞台で拝見したが 晩年は舞台に上がらず もう仁鶴の時代は終わったと感じた そこが残念である これは仕方がない 舞台にあがってこそ親しみを感じる やはり年齢的なものもあるだろう 米朝師匠がそうであった ひと時代を気づいた仁鶴師匠に感謝したいと思う 合掌