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2013年2月24日日曜日

明石家のんきの落語を聴いた

田辺寄席の鶴二さんの会で明石家のんきさんの噺を聴いた。初めてである。笑福亭松之助師匠の息子であることは知っていたので、どんな人かなと思っていた。イメージと全然違う人だった。今年で46歳とか。上方落語協会にも最近復帰したようである。繁昌亭にも出てくると思う。ヘアスタイルに特徴がある。リーゼントスタイル。大柄なので目立つだろうな。ロック歌手もやっている。昔々阪急電車で松之助師匠の隣に座ったことがある。師匠は文庫本を読んでいた。読書家であるようだ。今年88歳。米朝師匠、米丸師匠と同い年である。お元気なのが良い。目玉の松ちゃんというだけあって目が大きい。

さて、噺は「ふたなり」。誰だか忘れたが一度聴いたことがある。栴檀の森とも言うらしい。あまり楽しい噺ではないが、こういう噺もあるのだと思った。のんきさんは父親譲りの話し方でこれから期待したい。名前の通りのんきな噺を期待したい。

2013年2月20日水曜日

田辺寄席 鶴二さんたっぷり

2月の田辺寄席夜席は「新・じっくりたっぷりの会-笑福亭鶴二の段」であった。宿替えと口入屋の2席を聴けた。宿替えは江戸では粗忽長屋、口入屋は上方だけの噺のようだ。少し前に到着したら鶴二さんがおられたので、昨年末の京都南座の「にしん蕎麦」松葉での写真をお渡しした。少し話をしたのであるが、鶴二さんは終始ニコニコ。笑顔がとても良い。顔なじみもたくさんおられて人気者であることがよく分かる。

口入屋のマクラは師匠の6代目松鶴師匠宅での修行時代の話。これが最高に面白かった。皆さん、通の集まりなので、師匠を思い出して笑っていた。噺の稽古は全然なかったようだ。最初に覚えたのが平林とか。初舞台でとちったとか。信じられないが。それにしても松鶴師匠は伝説の人である。口入屋は仕草が見どころの話である。また女子衆さんがなんでもできる人で、その言い方が面白い。あほだら経にほら貝とかのろしの揚げ方など次から次へと出てくるくだりがでてきて吹き出す。鶴二さんは達者な噺家であるとつくづく思う。これで2月は、3日、10日、16日と毎週のようにライブで聴いたことになる。3月も頑張るぞ。浅草演芸ホールに行く予定である。

2013年2月18日月曜日

南光さんの火焔太鼓


動楽亭の中トリは桂南光さん。さすが人気者だ。テレビの影響は凄い。「べかこ」時代から売り出していたので関西人はたいてい知っている筈だ。米朝門下の枝雀の弟子の南光になるが、今やざこば師匠と南光師匠は米朝師匠を支える両巨頭である。この動楽亭もざこば師匠の小屋であるから米朝門下はたくさん出ている。核は南光師匠、米二師匠、米團治師匠というところか?

さて、マクラは北区老松町での骨董屋巡り。趣味でよく行くと言っていた。老松町と言っても知らない人が多いかもしれない。与力、同心など昔昔、近辺にお裁きがあったところである。今は少し残っているかもしれないが、名称変更でなくなった地名が多い。マクラが骨董屋ならば、火焔太鼓だろう。さすがお金持ちは住友はん。頼んないご養子さんが太鼓を買って来る。300両で売れるという目出度し目出度しの噺。サゲは半鐘を買うところまでいかず、夫婦仲良く暮らしたということで終わった。なにやら肩透かしを食らった感じだったが、こういう噺もあると思った次第である。

動楽亭で米團治の不動坊


3連休の中日の10日に初めて動楽亭に行った。我が家から歩いて約40分弱。一度行かねばならないところだと思って調べたら、今日の出番はまん我、南光、米團治とある。これはこれは聴きたい噺家ばかりである。13時開演、12時前に動物園前に到着、あれれ既に長蛇の列。係りの人が慌てて人数を数えていた。開演を速めて12時15分頃に開場。なにしろ初めてなのでどれだけ入るのか分からない。2000円の木戸銭を払って中に、座布団が敷いてあった。100名~130名くらいか?どんどんお客が入ってくる。通路まで座布団が入る。聴くところによると始まって以来の超満員。いつもは一桁の日もあるとのこと。

トリは米團治さん。前の方で聴いたので、米朝師匠と表情が似ているのが分る。噺は「不動坊」。米團治さんは芝居物が得意だが、これも芝居物ではないが、上方落語の代表作で米團治さんに似合った噺であると思った。遊芸稼ぎ人の講釈師不動坊火焔の後家さんと金貸しの利吉さんの縁談を面白くないと思っていた独り者3人が、不動坊の幽霊になって二人を怖がらすというシナリオ。しかし落語はそうはうまくいかない。失敗失敗。サゲは幽霊稼ぎ人です。落語らしい落語で楽しませてくれた。さすが、米團治さん。顔もいいし、謙虚さもあってさすが人間国宝の長男だけはある。写真は高座が終わって撮影。後ろの額には人間国宝が書いた「楽」が8つあった。5つあればほんまの楽語(落語)だったのに。

2013年2月7日木曜日

二葉さんの道具屋

桂二葉さんは初めてだった。米二師匠の2番目のお弟子さん。二からとって二葉。にようと読む。やまだりよこさんのマガジンで「爆発頭」と紹介されていた。アフロヘアーである。昔々笑福亭鶴瓶さんがしていたヘアスタイル。二葉さんはこれに憧れていた模様。よく聴くと「ブロッコリー」が好きで、そのイメージだとか。まだ2年も経たないとのことで、繁昌亭には出番がないようだ。3年経たないと出れないとのこと。背の高い、上方落語会にはないタイプのお嬢さんである。子ほめではないが、モミジのような手をしているかな。

本日の一席目は「子ほめ」。二席目は「道具屋」。まくらはふたつともアホの話で皆を笑わしていた。二席とも一生懸命演じているのが伝わってきた。米二師匠から基本をきっちり教え込まれているので聴いても安心。師匠は正統派であるので、二葉さんもしっかり頑張って欲しいと願うばかりだ。頑張れ、二葉さん。
 

米二師匠の茶の湯

桂米二さんは、京の噺家として有名である。その米二師匠とある落語会の打ち上げの会でご一緒させて頂いたのである。師匠は以前、日経新聞にブログを書いていたのを楽しく読んでいたのでどんな方かなと思っていた。その後「上方落語十八番でございます」が日経から出て、早速購入したのである。その本には人間国宝の米朝師匠に弟子入りした経緯が詳しく書かれていた。その本に先日サインをしていただいた。大事にしないといけない。

さて、米二師匠は「茶の湯」。2席目は「初天神」であった。茶の湯も初天神もたっぷり。時間を気にしないフルバージョンで楽しかった。茶の湯は、ご隠居さんが退屈をまぎらわせるために茶の湯を始めるというのが舞台の設定だ。青黄粉に椋の皮を入れて泡立たせ「風流だな」。甘い菓子も代用するありさま。食えたものではない。呼ばれた客人が便所から投げるとお百姓に当たった。お百姓さん手で払いながら「また、茶の湯か」これがサゲ。しかし縁者によってこんなに違うものか?やはり名人上手にかかると落語の楽しさが倍増する。繁昌亭ライブは時間が限られているので、たっぷりとはいかない。その点、落語会は良く満足する。

2013年2月3日日曜日

厄払い

2月になり、今日は節分。京都の吉田神社では追儺祭が賑やかに行われている。吉田中大路町に下宿していたので1年に1回は観ていた。明治の中頃までは「厄払い」屋というのがあったらしい。1月31日までは正月。31日に町内を回っていたようだ。先日の繁昌亭で九雀さんが落語の「厄払い」をやっていた。調べてみると江戸と上方では「オチ」が違う。よくある話だが、比べてみるとどちらも面白い。

米朝師匠の「厄払い」を聴いた。テンポも速く、軽快な噺だった。鶴は千年を鶴は十年というところがある。十と千はシャッポがあるかないかの違い。シャッポを忘れていた・・・。鶴が帽子を被るか?「ツルクハット」など駄洒落を挟み、「オチ」は、雨が降って来たな?これは縁起が良いことか悪いことか?と主人が言うと、番頭さんが「降る(つる)は千年」「雨(かめ)は万年」
これに対して小三治師匠は、東方朔(前漢の文人)は八千歳とあるところを朔の字を与太郎が読めず、とうぼう・・・・と詰まり、逃げて行く。番頭さんがああ逃げて行きますよ、主人「ああとうぼと言っていた」
判定は上方、米朝師匠の若いころの噺はリズムがある。さすが名人上手である。ところで今日は巻きずしの丸かぶりとか、食べてみるか?