ページ

2011年12月25日日曜日

ハワイの雪

喬太郎さんの創作落語である。新潟に住む90歳の留吉さんのところにハワイから手紙が届く。ジェームス安田という孫が出した手紙。留吉を捨ててハワイに行った千恵さんが今日か明日の命と言う。ぜひ留吉さんに看とって欲しいという。孫娘の恵理子と一緒にハワイに飛ぶ。お土産は新潟の雪である。行李に入れて行ったのだが、途中で水に溶けてしまう。一緒に雪かきをして遊びたいという留吉。雪をクール宅急便で送れば良かったと反省していると、雪が降って来る。手に積もった雪で遊ぶ二人。やがて千恵さんは帰らぬ人に。おっかけ行くよと留吉さん。現代版人情噺である。

今週末は大雪に見舞われた。新潟ではないが、当地も負けていない。雪深い新潟からハワイに行く噺に喬太郎さんのアドリブが盛沢山あり楽しい。千恵さんはハワイではなく「チェコ」に住んでいるとか。ディープシニアの腕相撲大会でハワイ旅行のペアのチケットをゲットするとか。恵理子が学んだのはメソポタミヤ語とか。退職金をホストにつぎ込んだとか。笑いを取る。そういえば、徳光さんが結婚式は疲れると言っていた。「疲労宴」とか。またある人が高熱を出したけど、布団の中でおならをしたら熱が下がったとか。「屁(へい)熱」とか。くだらない噺は大好きである。

2011年12月18日日曜日

歌之介師匠の手水回し

日本の話芸をみていたら三遊亭歌之介師匠が出ていた。珍しい。話芸は演者が決まっていているので面白くないと思っていた。方針を変更したのか?これからもどんどん出てほしい噺家である。とにかく面白い。初めて聞いたのは5年前。旅行のバスの中であった。鹿児島弁で短く切って話をする。ところどころに人物の実名を挙げる。実名と思うのだが確認したことはない。十八番は「龍馬伝」。そのとき龍馬は・・・。マクラはワンパターンだが何時聴いても笑ってしまうから不思議だ。

さて、手水回しは、上方の噺。歌之介師匠も大阪の高校出身だから関西弁は上手い。アクセントが様になっている。手水とは、朝、顔を洗う時の洗面器のこと。大阪から来た旅の人が「手水を回して」と女中さんに頼む。それが分からず旅館の主人以下振り回される。長い頭を「ちょうず」と解釈してアントニオ猪木が頭を回す。身振りが面白い。どうしても分からず、大阪の旅館に2人で一泊。手水を頼むと洗面器に塩と歯ブラシが出てくる。塩を入れかき混ぜて飲んでしまう。飲み終わったら、二人目の手水が出てくる。これは、お昼に飲むというのがサゲ。同じような話で「転失気」を思い出した。

2011年12月6日火曜日

時うどん


高松に行った うどんを食べた 初めてのお店 いつも友達がやっている店に行くのだが時間がなかった たまには違うお店もいいか 製麺所と書いてあった ざるうどんを頼んだ タコのてんぷらも追加した うどんは丼に入れて出てきた やはりざるはざるが良い しかし 製麺所だから仕方ないか  スダチを絞って出汁に入れて食べた 少し麺が固かった あまり口にあわないなあと感じた やはり友達が一番

うどんにまつわる落語は多い 時うどんが有名 ひとつ ふたつ・・今何どき・・一文を誤魔化した これをまねたアホ 何どきの時を間違えて多く支払う 白鳥さんの「時うどん」は確か「トキ」うどんだった 新潟県出身でトキ 環境問題を取り上げてのトキうどん 最高に脱線する創作落語 先日SWAが解散した 夢枕獏氏の本を買って読んでいるが面白い 昇太 彦いち 喬太郎 白鳥の活躍は今後も楽しみ

2011年11月23日水曜日

談志師匠ご逝去

突然の訃報。家元の無茶苦茶ぶり。わがまま放題は、週刊現代で連載されている最中である。とにかく痛快である。信念を押し通しているのは立派。凡人では真似できないことばかりである。時々、そういうへそ曲がりは居ることは居る。談志師匠がご逝去された後の立川流はどうなるのだろうか?
今日、お借りしていた「今どき落語」のDVDを鑑賞した。権太楼、菊之丞、小遊三、さん喬に続いて立川談笑さんが出てきた。演目は、「金明竹」、この噺の佳境部分で出てくる仲買の佐吉を大阪弁でなく東北弁でやっていた。立川流らしく、途中で余裕のギャグを入れての熱演だった。「今どき落語」というタイトルが気になっていたので、伊集院光の解説をよく聞いてみると「今どきの落語家」という意味であることが分かった。志の輔さん、談笑さん、談春さん、志らくさん・・・と素晴らしい噺家を抱えている立川流の今後の隆盛を祈念したい。談春さんの落語会が12月にあるので楽しみである。

2011年11月20日日曜日

松葉ガ二

堺港の水産卸売センターのカニである。値段は4000円から10,000円くらい。形、太さ、重さなどで決まってくるのだろうか?前日に小料理屋でカニが出た。勿論、生である。焼きガニにした。味噌にはお酒を入れて焼いた。なんとも言えない美味しい味であった。
この日は、前の会社時代の同期の集まりがあった。毎年、山陰、岡山の温泉で一杯やる。今年は皆生温泉。11月に解禁されたばかりの旬の味。旧交を温めた2日間であった。

2011年11月19日土曜日

崇徳院

百人一首つながりで「崇徳院」という噺。これも何回も聴いた。笑福亭松喬師匠もよくやる。笑福亭といえば、お酒の噺が多い。相撲場風景とか禁酒番屋(関所)、三人上戸とかである。先日、呂鶴さんの三人上戸を聴いた。特にサゲはないが、わあわあいうております、おなじみの三人上戸でございますで噺は終わる。

「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」崇徳院は和歌をとりわけ好んだ。この歌は恋のはげしい情熱を詠んでいる。高津さんの茶屋で若旦那の作次郎が隣に座ったお嬢さんに一目ぼれ。お嬢さんが忘れ物をした。作次郎がそれを知らせてその御礼にお嬢さんが色紙に歌を詠む。「瀬をはやみ・・・」と上の句。作次郎はどこのどなたか分からないお嬢さんに恋の病で寝込んでしまう。心配した父親が番頭さんにお嬢さんの捜索を依頼。見つけたら大金を出すという。番頭さんは、自分の女房にせかされて床屋・風呂屋を探す。「瀬をはやみ・・」と念仏のように唱える。お嬢さんの方も同じく恋の病。やはり同じように探していたのだ。床屋で双方の代理人が出くわす。喧嘩となり鏡を割ってしまう。サゲは「割れても末に買うとぞと思う」少し歌が違うが良いとしましょう。それにしても素晴らしいストーリーだ。 

2011年11月16日水曜日

千早振る

久しぶりに「千早振る」を聴いた。紅葉の季節にふさわしい噺である。これを天狗連の松風亭眞笑さんから聴いた。大学の落研出身だから基本は出来ている。なかなか上手である。「ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」の百人一首の在原業平の古今集の歌を迷解説してくれる。竜田川というのは、川だと思うだろう。違うんだな関取りなんだ。なぜ、大関まで務めた人が豆腐屋になるのかと聞かれて、実家だと答えて納得。しかし、水くくるとはの「とは」を聞かれて困ってしまう。「とは」は、苦し紛れに千早の本名だとか。サゲも笑ってしまう。「・・・とは」は、次に述語が続く言い方ではある。この場合は、主部と述部が逆になった倒置法となっている。眞笑さんは、同じく百人一首のももしきやにも言及していた。ももしきや 寒くなったら履くもんだ・・・・とか言って笑わしていた。

本当の意味は「不思議なことのあったあの神代にも聞いたことがない。竜田川が唐くれないに色に水をくくり染めにするとは」である。千早振るは、神にかかる枕言葉とか。竜田川は斑鳩にある川である。一度行ったことがある。龍田神社もある。紅葉の名所である。また行ってみたくなった。

2011年11月9日水曜日

千両みかん

みかんの季節である。これから正月にかけての果物の王者はみかんだと思う。昭和39年、初めてみかんを長崎で買った。100グラム10円とあった。10円?安いな、これ100グラムくださいと言ったらひとつのみかんを呉れた。高校の修学旅行の時である。この時、みかんひとつが、100グラムであることを知ったのである。
志の輔さんの「千両みかん」を聴いた。この噺は、昔よく聴いたが、志の輔さんでは初めて。なんとも言えないタイミングで笑いを取る手法は真似が出来ない。古典であるが、現代のアドリブを入れる。そうか、今は夏、みかんがあるわけないだろうという怒りのタイミング、思わず笑ってしまう。オリジナルの笑いの感覚である。江戸では神田の千惣。そこにみかんが一つだけあった。これが千両という。倅が欲しいという。親爺が倅のために・・というと番頭も倅のために・・・と調子に乗る。お前が倅と言うことないだろうと言われて、笑いがドットコム。10袋で千両、3袋なら300両と換算し、倅から3袋いただいた番頭がそれを持って夜逃げしたというのがサゲ。落語ならではの噺である。

2011年11月4日金曜日

津山ホルモンうどん

津山に行った。津山は祖母のふるさとである。2回目の訪問、前回は時間の関係で鶴山公園にある津山城に登れなかった。今回はたっぷりあった。本当は桜の季節が良いのだが。
津山と言えばB級グルメで上位の「ホルモンうどん」である。これを食べないわけにはいかない。地図を見ながら検討。「彩の星」というお店を見つけた。

おばちゃんと娘さんがやっていた。ちょっと会話をして、注文。出てきた。一味が合いますからと言われた。なかなか美味しかった。コラーゲンたっぷりのホルモンはコリコリしていた。これは今までに味わったことのない味。津山は、牛の加工で有名な町だということを知った。このお店はもともとお肉やだったとか。お勧めの「干した牛肉」もお手頃の値段だったのでお土産に買ってきた。「時うどん」ではないが、白鳥さんなら「ホルモンうどん」の創作落語を創るかもしれないと思った。

2011年10月26日水曜日

町内の若い衆

白酒さんを生で聴きました。浅草です。「待ってました」と声を掛ける。このタイミングは難しい。繁盛亭と違ってお囃子もメリハリが効いていない。知らない間にスッと出てくる感じ。頭は三喬さんのようにスカッとしている。額のところに特徴がある。声も良い。良く通る綺麗な声である。顔も愛くるしい。現在聴いてみたい落語家のナンバー10に入る。
町内の若い衆という噺は初めて聴いた。大家さんのところは、家の手入れが良い。褒めると、なあにこれは「町内の若い衆が寄ってたかってやってくれた」と謙遜する。それを聴いた兄貴、自分の家を思い出す。おかみさんが凄い太い声で家中を仕切っている。兄貴が風呂に行っている間に、兄貴から頼まれた友達が、おかみさんを訪ねて、兄貴のことを褒めるが、全然反応なし。せいがない。ふとお腹を見ると大きい。さては子どもが生まれるのかときくと、「なあに町内の若い衆が寄ってたかってやってくれた」というのがサゲ。実に恐ろしいサゲであった。
白酒さんの噺はこれからも注目したい。五街道雲助師匠の一番弟子である。

2011年10月25日火曜日

読書の時間

何回聴いても噴き出す噺だ。三枝師匠は落語の天才だとつくづく思う。このような創作落語を100近く作っているという。選りすぐりの34撰のDVDを購入しているが、どれもどれも逸品。特に「読書の時間」は5本の指に入る。
先日、この噺を正蔵さんから聴いた。正蔵さん、こぶ平改め正蔵である。弟のいっ平は、三平になっている。江戸でこの噺を聴くのは珍しいと思う。お客さんは、読書の時間で、生徒が島崎藤村のことを島崎・フジムラと読んだことでドット笑う。細雪をほそゆき、細道をささめみち、とくると更に笑う。やりやすい客だ。たけものしょうじじっとくは武者小路実篤、そう読むほうが難しいとか。きんいろよまた、までくるとお腹をかかえて笑っている。
私が面白いと思うフレーズは、厚い本だな、なんだ全国時刻表かという場面、しかしこのフレーズは出てこなかった。そして、竜馬がゆく、ここで最高潮、正蔵さんが、おお・・という顔が面白い。最後は息子と父親の会話があるが、この日は時間の関係か、最後までいかなかった。江戸のお客を笑わすのはこれが一番。しかし著作権料を払うのだろうか?それが気になる。

2011年10月22日土曜日

浅草演芸ホールの賑わい


浅草には、年間3000万人の観光客があるらしい。この六区は、演芸のメッカである。隣の東洋館にも大勢の浪曲ファンが並んでいた。ここは、ホールは満員だった。じじ・ばば・じじ・ばばでサロンパスの匂いが充満していた。入ると前座さんが金明竹を演じていた。花どんは花録の弟子、続いて出たのが小朝の弟子のぽっぽ、女性である。11月から2ツ目とか。なかなか可愛かった。
この日は、豪華メンバー、真打では聴きたかった白酒、川柳、正蔵、圓太郎、馬風、仲入り後は、木久蔵、正雀、たい平、主任は白鳥(彦いちが休演のため)、満足の高座であった。
色物では、遊平・かおりの漫才、ゆめじ・うたじの漫才、あした順子の漫談などこれで2,500円は値打ちがあった。久しぶりのホールであったが、2階があるのは知らなかった。

2011年10月19日水曜日

大師の杵

林家木久蔵真打の落語を生で初めて聴いたのである。演目は「大師の杵」、川崎大師が舞台である。若き日の弘法大師物語。マクラが振っていて、会ってみたい歴史上の人物のベスト3。龍馬、信長、聖徳太子。木久ちゃんは、教養のあるところを見せて弘法大師をチョイス。これから本題に入るのは、意外と新鮮だった。声も大きいし、若いし、華がある。こちらもそういう目で見るから余計だ。
おもよさんが大師に惚れる。片思いだ。心配した親爺が、おもよを大師の寝間に襲わせる。しかし大師は先に気がついて、出掛けてしまう。布団の中には杵がひとつ。お玉牛なら牛が寝ているところだが。杵がサゲのヒント。失意のおもよさんは、六郷に身を投げる。大師は、予感がして戻るがそのときはすでに遅し。悪いことをしたと親爺に謝り、「おもよ堂」を造り、杵を奉納する。それが評判を呼び現在の川崎大師として人の集まる場所となった。
木久蔵さん、私も本当かと思って大師に行ったんですよ。そのことを話したら、お坊さんに「臼だ」と言われました。これがサゲ、杵と臼。臼と嘘。木久ちゃん途中で「土左衛門」が出てこなかったが、まずまずの噺だった。

2011年10月14日金曜日

明石飛脚

桂しん吉さんの得意ネタ?かな。3回くらい聴いた。先日は繁盛亭で生で聴いた。吉朝師匠の4番弟子で有望株である。人気者の吉弥さんは2番弟子。東住吉高校の噺家は多い。染二さん、しん吉さん、吉坊さんなど、染丸師匠が教えていたので、多くの噺家を輩出。

さて、明石飛脚 大阪から明石まで15里の道を手紙を持った飛脚が走る走る。現代の佐川急便である。佐川のマークは飛脚。西宮のえべっさん、三ノ宮、「どこいさのさ」との掛け声で、体を揺らしながら、ここはどこや、大阪から明石までどのくらいかと聞いてまわる。西宮でも三ノ宮でも兵庫でも、須磨でも明石の人丸でも大阪から明石までと聞くから、みんな15里と答える。聞き方が悪いので全然減らない。面白いのであるがあまり受けない。遂に人丸で寝込んでしまう。ここはどこや。明石の人丸や。飛脚が思わず「走るより寝ている方がはやい」。というサゲ。少し分かりにくいと思う。ここで一旦終わるので、お客は拍手。しかし、まだ終わってませんでと、雪隠飛脚、うわばみ飛脚の噺が続く。上方ならではの鳴り物入りで、テンポよく楽しい落語である。

2011年10月4日火曜日

京の茶漬け

口先だけの実がないたとえとして用いられることもあるが、訪問、あるいは滞在する時間帯への客の心得や、主客相互の気遣いなどを表すたとえでもあり、基本的に家庭料理ではもてなさない京都人の接客振りをも表している(京都検定テキストより)
落語では、口先のことを強調しているが、そうではないという解釈か?奥が深い深いテキストである。落語では、京都人を皮肉っている。学生時代4年間、京都に下宿した私にとっては、この噺を聴いてなるほどと思う。しかし、実際にはそうではないようだ。京都人の奥深さを示しているのだ。まだ、若かったのである。やはり、訪問する時間は気を配らなければならない。
この噺は、やはり、京都の落語家が演じるのが一番良い。福郎師匠、米二師匠、染二さんの噺をもういちどゆっくり聴いてみたい。
千本今出川上がるに近為という有名なお漬物やさんがある。ここでは、京の茶漬けというメニューがある。2500円らしい。一度、食べてみたい。ただの茶漬けではないらしい。どんなものか大変興味がある。

2011年10月2日日曜日

秘伝書

道具屋ではないけれど縁日には沢山のお店が出る。怪しい小屋もある。蛇女とか人魚女とか、だみ声の口上が怪しさを倍増する。奥でおっさんが本を売っている。結構高い。もちろん、サクラも群がっている。これらを落語にしたのが秘伝書である。4代目桂米紫さんで聴いた。都んぼ改め米紫である。3代目は、大きな太った噺家であったような気がする。千里セルシー寄席で何回か聞いたことがある。4代目は若くて元気が良い。都丸改め塩鯛の弟子である。

釜なくて飯を炊く方法(鍋で炊け)ひと月100円で暮らす方法(ところてん、一突き100円)とか、ただで電車に乗る方法(車掌になれ)とか若い女の子にきゃきゃ言われる方法(ここでは答は書けない)天皇陛下になる方法(これも書けない)最後に少ないお金で大儲けする方法、これは何かと読めば、これと同じように本を売れ。これがサゲである。単純な笑いであるが、お客さんは爆笑。江戸ではばかばかしくてやらないのでしょうね。

2011年10月1日土曜日

道具屋


お初天神の道具屋さん。優雅なものである。おじさんが椅子に座って番をしている。与太郎ではない。昔は道具屋さん、今ならガレージセールというのだろうか。フリーマーケットと呼ぶのだろうか。噺にで出てくるのこぎり、股引、木刀、お雛様は置いてなかった。その代わり壺、絵画、洋服を置いてていた。                                                  

2011年9月29日木曜日

目黒のさんま

それは、房州だからまずい。さんまは目黒に限る。これは誰もが知っているフレーズであると思う。幼少の頃、さんまが出るたびに思い出した。何回聞いても面白い。これが古典というものだろう。松喬師匠が述べていた。大抵創作は1回聴いたら二回目は面白くないが、古典は何回聴いても面白い。あたっている。三代目金馬師匠のさんまは、歯切れが良くて最高。
さて、ストーリーは、殿様が鷹狩りにめぐろに出掛ける。お昼時に一軒の農家からさんまを焼くいい匂いがする。食べたいと殿様は言うが、家来はあの脂ぎった魚を下賤の物といい、食べささない。しかし殿様は食べたいと言う。食べたら美味しかった。お城に帰った殿様は、さんまの味が忘れられず、また食べたいと駄々をこねる。御膳奉行は房州産のさんまを料理するのだが。脂身、骨をとってさんまとは思いつかないようなものにしてしまう。食べた殿様は、思わずまずいと声を発する。これはどこのさんまか?と家来に聞く。房州産ですと答えるのだが。
根室の友人がいる。彼からさんまを贈ってもらった。これがなんと立派なさんま。今まで見たことのない太い大きなものだった。思わず、「さんまは根室に限る」と言ってしまったのである。

2011年9月21日水曜日

算段の平兵衛

田辺寄席長月席第582回は、林家竹丸の段であった。竹丸さんが二席をたっぷり。最初は三枝作の「立候補」。小学校6年生の息子が生徒会会長に立候補する噺。創作落語だから初めて聴くと面白い。もう一席は、トリで「算段の平兵衛」。長い噺だ。平兵衛は、悪知恵の働く輩。不都合な出来事が起こると皆が平兵衛に解決を依頼する。平兵衛はなんとか解決してしまう。落語だから笑って済ませることが出来るが、現代では駄目。誰かさんみたいになる。算段とは、いろいろやりくりして物事を解決するということらしいが、この噺は悪事をなんとかごまかすようで後味は良くないが、サゲでは、平兵衛が騙されるということでおさめている。
竹丸さんは、自分のことを子泣き爺と紹介したが、そういえば良く似ている。もとNHK記者のようである。神戸大学を卒業、記者から噺家に転身。吉弥さんも神戸大。京都大学は、たま、福丸。大阪大学は染左さん。皆さんは笑っているけど、親は泣いているそうだ。竹丸さんも入門するとき、染丸師匠の前で両親は泣いてばかりいたという話をしていたなあ。

2011年9月11日日曜日

壺算

二荷入りの水がめを買いに行く噺。水がめと言っても今はあまりピンと来ないので、マクラで昔の生活の解説を入れる。今で言うならポリバケツというところか。まず一荷のカメを買う。二円五〇銭を五〇銭値切る。つまり二円。これを購入するのだが、これを予定通り返却して二荷のカメと交換してもらう。一荷で二円なら二荷なら四円。店の主人からお客さん買いもの上手と褒められる。次は支払い方法だ。まず一荷のカメを二円で引き取ってもらうから二円。さきほど二円払ったからこれで四円となる。これでめでたく二荷の水がめを二円で購入することができた。主人は一旦納得するのだが・・・。
どうもおかしい。何度もお客を呼びとめ、確認するのだが、・・・。頭が混乱して遂に二円も返しますというサゲになる。
この噺を立川談笑が、薄型テレビにして創作落語にしているという。まだ聴いたことはない。おそらく二〇インチを買って四〇インチに買い換えると言う噺ではないか。ぜひ聴いてみたい。頭の体操である。返品ということは日常でも良くある。そのときに他のものを買い換えることがある。思い違い、勘違いをテーマにした実に良くできている噺である。ああおそろしや。思う壺というのはここから出たのかな。

2011年9月8日木曜日

高津の富

高津の富、江戸では宿屋の富。この噺は何と言っても笑福亭松鶴師匠が一番であると思う。あの「子の1365番」が、あの「子の・・」と粘る言い回しが面白い。一度、ロト6かミニロトで1365を組み合わせた数字を買ってみたい。あたるかもしれない。噺は、因州・鳥取から来た男が宿屋に泊るところから始まる。男は口から出まかせを言う。泥棒に入られたが、千両箱をたった80しか持ち出さなかったとか、・・言いたい放題ほらを吹く。宿屋の主人も信じてしまう。男は主人から残り1枚の富札を買って欲しいと頼まれ、なけなしの1分を出してしまう。
さて、高津神社では富くじの抽選が始まっている。本番前に実に楽しい男が出てくるが、最終的には子の1365番が当たる。千両箱である。男は、震えながら宿に帰り、下駄を履いたまま布団にくるまってしまう。宿屋の主人も番号を見てビックリ。宿に帰って、下駄ばきで2階に上がる。男は誰にも会わん、誰じゃ、下駄で上がってくるのは・・・主人か。主人が布団を剥がすと男も下駄をはいていたというのがサゲ。
松鶴師匠の家はすぐ近くにあった。住吉の長屋である。家の中を見せてもらったこともある。庶民の町で、ゆったりと楽しんでいた師匠。愛すべき噺家である。また、高津神社には文枝師匠の碑がある。松鶴師匠のお墓はどこにあるのかな。

2011年9月7日水曜日

小豆島のジャスミン


小豆島に行って来た。小豆島と言えばオリーブ。そのオリーブ園にジャスミンの白いが咲いていた。鼻を近づけると甘い香りが・・・。恋人の散歩道とか。ミモザもある。もちろん、オリーブも。ポパイが出て来るかも。久しぶりの小豆島。島に住んでいた心友が昨年亡くなった。尾崎放哉が眠る墓地に彼も眠っていた。合掌。

2011年9月1日木曜日

転失気

前座噺である。知ったかぶりの噺は沢山ある。「ちりとてちん」も有名。その他、手水回しも勘定板も同じようなストーリである。転失気のサゲは上方と江戸では違うようだが、上方の方が分かりやすくて面白い。上方のサゲは、「医者は転失気のことをおならと呼んでいますが、お寺では、盃のことをいつから転失気と呼んでいますか?もうそれは奈良・平安の時代から・・・」江戸では、盃?どういうわけで・・「これを沢山重ねますとぶうぶうが出ます」となっている。「ぶうぶう」は、酔っ払いへの小言らしいのですが、それと放屁をかけたとか。少し分かりにくいですね。
和尚さんが医者をよぶと、医者は「転失気」があるかと聴く。和尚さんはありませんと答える。医者が帰ったあと、和尚さんは、転失気がなんのことか分からない。珍念さんは、いろいろ聴きまわるが、分からない。そのうち、薬を取りに行った珍念さんは、医者から「放屁」ということを聴く。珍念さんは、和尚さんに「転失気は盃のことです」と嘘をつく。盃=呑酒器と和尚さんは連想して医者に「転失気」を説明するのだが。やはりサゲは上方、奈良・平安がいい。今度転失気のことをお医者様に聞いてみようと思う。

2011年8月18日木曜日

笠碁

人間国宝の小さん師匠の得意の噺。これは紀伊国屋ホールで聴いたと思う。たしかあの時は、圓楽師匠が「たがや」を演じたので覚えている。今日はNHKの小さん師匠を偲ぶ会で演じた笠碁のDVDを視聴。談志師匠も米丸師匠も想い出話を語っていた。「了見」を大事にする噺家だった。
笠碁は、幼馴染みの友達が碁の「待った」、「待たない」で喧嘩を始める。「ヘボ」「ザル」と言い争いになってしまう。良くあることである。2年前の借金騒動まで出てきて、両者がきまずくなってしまう。悪いことに毎日雨続きだ。退屈で仕様がない。傘がないので、菅笠を被って相手先の家の前をウロウロ。小さん師匠の目つきが最高に面白い。とうとう碁盤の音が気になって、また「ヘボ」と声を掛ける。「ザル」でやり返す。勝負しょうとまた仲直り。ところが碁盤に雨がかかる。雨漏りかと思えば、菅笠を被ったまま座っていた。これがサゲとなる。小さん師匠のなんともいえない仕草が二人の仲の良さを伝えてくれる。
権太楼師匠のDVDも観てみた。これも同じように面白かった。個性が良く出ていた。

2011年8月17日水曜日

百人坊主

文太師匠の百人坊主?を繁盛亭でやっていたので、珍しいなと聴いていたら、「大山詣り」であった。この噺は江戸が良く似合うと思った。上方は奈良の奥深い大峰山に行く。まるで役の行者ではないか。江戸は伊勢原の大山へ。だいせんではなくおおやまへ。一方帰りは、江戸は金沢八景に寄り道する。上方は和歌山の太地(たいち)へ。鯨で有名なところだ。かなり大周りしている。無理がある。
噺の筋は、熊さん(江戸では熊公)がお参りの帰りに暴れて丸坊主にされる。約束だから仕方がない。しかし熊さんは、早回りして先に帰って驚かす。太地で皆死んだと嘘を言う。おかみさんは、それを真に受けてしまう。尼さんになって読経をしているところに一行が元気で戻ってくる。ビックリ。先達は、めでたいと喜ぶ。「カカアを坊主にされて何がめでたい」「お山は晴天、家に帰ればお怪我(お毛)がなくておめでたい」とサゲる。髪形の噺だから上方でも良いがちっと無理がある。

2011年8月9日火曜日

祭ずし


桂梅団治さんの「ねずみ」に出てくる岡山の「祭ずし」である。週末に高松に行った。岡山駅は必ず経由するから時々購入する。2種類あるが、安い分である。焼き穴子、児島名物のタコ、日生のシャコ、岡山名物サワラ、ママカリ(これが岡山で最も有名、あまりに美味しいので、隣人にご飯を借りに行ったというママ借り)、エビ、椎茸、錦糸玉子、も貝、紅ショウガなどなど。これをねずみ旅館の子どもが買いに行くシーンがある。岡山の三好野弁当屋さんは、頑張っている、

2011年8月7日日曜日

片棒

柳家さん喬師匠の片棒をDVDで観た。人気者の喬太郎さんの師匠である。さすが、味がある。小さん=さん喬=喬太郎師匠とつながる。とぼけたような感じだが、表情とアドリブが最高であった。
ケチの代名詞である赤螺屋吝兵衛さん、ケチと倹約で財産を残した。さて三人の倅のうち誰に身代を譲るかを考えていた。そこで、自分が死んだらどういう葬儀をだすか松太郎、竹次郎、梅三郎の三人にそれぞれ問いただす。
長男の松太郎は、会葬者には贅沢な料理を出し、お土産まで用意して一人2,000円、三千人を呼ぶという。親爺は激怒。竹次郎は、山車を出して2晩お通夜をして、吝兵衛さんの人形を出して踊りだすと言う。イヨマンテの夜じゃないんだから、もう良いと親爺は怒りだす。梅三郎は出来る限り質素にやると言ってくる。親爺は喜ぶ。出棺もたくあん樽で済ませる。臭わないかな、もう死んでいるのでいいかと言いながら、樽を運ぶのはどうするのかと問いただすと、樽の担ぎ手が自分しかいないので困っていると言う。親爺さん、心配するな、片棒は私が担ごうというのがサゲ。

2011年8月4日木曜日

金明竹

前座噺らしい。この噺は、関西弁で捲し立てる中橋の加賀屋佐吉方から参じた男と道具屋で店番していた与太郎のやり取りが面白い。古道具を持ち込む。早口、しかも関西弁での口上に面白がる与太郎。店のおかみが聞いても分からない。「のんこの茶碗、黄檗山金明竹、寸胴の花活、古池や蛙飛び込む水の音・・・」など次から次へとリズムよく出てくる。戻って来た主人が問いただしてもさっぱり要領を得ない。はっきりしたことがないかと尋ねると古池に飛びこんだという。あいつには道具七品を預けてあるのだが、それを買ってかな。買わず(蛙)でございますがサゲ。
三代目金馬師匠の噺が絶品とか。三代目は、はきはきとして声も良く通る。しかも面白い。あの顔がいい。落語家そのものである。
三遊亭圓丈師匠は出身の名古屋弁でやるようだ。一度聞いたが忘れられない。圓丈師匠ならではのアレンジだ。

2011年8月1日月曜日

佐々木裁き

この噺ももとは上方噺。西町奉行の佐々木信濃守がお忍びで市中を歩いていると、子どもが裁判ごっこをしている。佐々木殿は邪魔だと棒で追い払われる。見ていると桶屋の倅の四郎吉が佐々木信濃守を名乗り、采配をふるっている。感心した信濃守は、親と四郎吉を奉行所に呼ぶ。親はひやひやだが、倅は堂々としたもの。信濃守の質問にも頓知を利かせてスラスラと答える。挙句の果てに信濃守をアホ、馬鹿と決めつける。
米朝師匠のサゲは、当時、浪花の街の袖の下社会が背景にあったと前もって説明した上で、箍が緩んでいるのを佐々木信濃守と四郎吉が皆の前で、引き締めるという話にもつていき、引き締める筈や桶屋の倅やからとしている。米朝師匠の途中途中で入れる解説は為になる。そういえば、今の大阪市北区西天満は、昭和40年代は、与力町とか、同心町とか、良い名前があったなあ。この噺にも出てきて懐かしかった。

2011年7月27日水曜日

桃太郎

昔々、あるところに、お爺さんとお婆さんがいました。お爺さんは山へ芝刈りに、お婆さんは川へ洗濯に。しばらくすると川上から薩摩芋がどんぶらこっこ流れてきました。お婆さんはお芋をふかして食べました。お腹が一杯になり、大きなおならを一発。お爺さんは芝を刈らずに臭かった。(草かった)というのが落語のまくら。
しかし、この桃太郎さんは、ちょっと違う。賢い子どもが親爺の桃太郎の話を聞いても眠らないのだ。昔々はいつごろ?あるところは何処?とか聞きまくる。どこでもいつでもえええやんというわけにはいかないから難儀だ。親爺よりも子どもがよく知っている。普遍的な話にするために昔昔とか、あるところにとか、にしていると子どもが言う。犬・猿・雉を連れているのも訳がある。きび団子も訳が。そうこうするうちに、親爺が先に寝てしまい、サゲはきょうびの大人は世話がないわ。
そういえば、昔昔亭桃太郎師匠は、この噺をするのだろうか?まだ本物にはお会いしたことはない。あの飄飄とした舞台は関東人向けかもしれない。出るだけで「フラ」がある噺家である。

2011年7月23日土曜日

真田小僧

真田小僧は、タイトル通り子どもが主役だ。13歳の子どもが父親に小遣いをねだる。その手法は巧みだ。このあいだ晩に、お母さんの所に男の人が来たという話をして、次から次へと話をどんどん膨らませて、父からお小遣いを引き出す。それがこの噺の最初の山場である。その男は按摩さんであった。騙されたと分かった父は「真田幸村は、14歳のときに敵に囲まれ、咄嗟に敵の幟である永楽通宝のついた旗を造って夜討をかけ、敵陣に寝返ったとみせかけて難を逃れた。13歳のうちの奴とはえらい違う」と嘆く。第2幕は永楽通宝を6つ並べた真田の定紋「六連銭」はどんな紋とか言って子どもが父に聞いて銭を並べてもらう。勘定するふりして銭をもって行ってしまう。サゲは、その銭でどこに行くのかと聞くと、子どもは焼き芋を買うという。父思わず「ああうちの真田も薩摩へ落ちた」 焼き芋=薩摩か・・・  リンゴを買う=信州に戻ったというサゲはないのか?
真田幸村は、なんと信州とか。この前、駅で信州上田まつりのポスターを見ていたら真田まつりとあったので驚いた。 てっきり大阪かと思っていたのだが。 今度大阪の真田山公園に行ってみよう。 

2011年7月19日火曜日

祇園祭

17日は、祇園祭。巡行を楽しんだ。これは月鉾。てっぺんに三日月が飾ってある。月鉾は何か夢があっていい。先輩の放下鉾は、新町上がるところにある。先輩が下駄をはいて2階で打ち合わせをしていた。後から寄ってよ、と言われたたが忙しそうだったので遠慮した。
祇園祭(祇園会)という落語がある。春風亭一朝師匠が演じているDVDを鑑賞。江戸落語みたいだ。江戸っ子が伊勢参りのついでに京にやってくる。祇園祭はえらいもんどっせ。・・・江戸っ子は三社祭を持ち出す。遂にお国自慢で言いあい。最後は、御所紫宸殿の砂と千代田城の砂を比べる。どうやらこれは京都の勝ち。京では瘧が落ちる。(病気が治る)江戸では首が落ちる。これがサゲ。

2011年7月18日月曜日

お文さん

田辺寄席の文月席に行った。今日はいつもより少ない感じだ。80名くらい。暑いから?笑呆亭のクイズの正解38名。不正解45名。勿論、正解であったので、景品があたるかもしれないと期待していたのだが。残念。今日は桂ちきん。桂文鹿。桂枝光。桂文太師匠。飛び入りで文鹿さんの師匠の桂文福師匠が登場したのには驚いた。
文鹿(ぶんろく)さんの「じっくりたっぷりの会」であった。演じたのは「8時ちょうどのくろしお1号」と「お文さん」。一度、松喬師匠の高座で聴いたことがあった。酒屋で赤子を抱いた浪人が、角樽を買った。これを御祝に届けるということで、丁稚の定吉がお供をする。しかし、定吉に赤子を預けてちょっと奥の屋敷に行ってくると行って帰って来ない。やがて捨て子と気づく。それは若旦那と新地の芸子お文さんとの子であった。乳母としてお文さんが家に入るように仕組まれていたのだ。何も知らない御寮さん。世話役のお松どんが御寮さんの味方となって定吉に白状させる。今、若旦那は、奥でお文を呼んでいる(御文を読んでいる)という。御寮さん、奥に向かうと若旦那は御文(教義)を読んでいた。お文さんと言わないで、お文と呼び捨てにすることで、サゲが通じる。文鹿さんの噺に思わず、引き込まれた。

2011年7月14日木曜日

松山鏡

越後に松山村がある。本当にあるみたいだ。上方では羽生村の鏡になる。羽生村は上州にある。繁盛亭ライブで福郎師匠が「羽生村の鏡」というのをやっているので、どんな噺かと聴いたら、松山鏡だった。この噺は、鏡のまくらから始まる。美術館で奥様が質問、「これはモネですね」「いや違います。マネです」「これの絵はピカソですね」「いや 奥様 それは鏡です」???
鏡があるということを知らなかった松山村の正助さんは、孝行者の御褒美に何が良いかと言われて、死んだ親爺に会いたいと願い出る。領主は、「決して余人には見せるなよ」と言って鏡を与える。鏡を見たら自分のそっくりの親爺が映っていて、大喜び。毎日毎日、納屋で親爺に会いに行く。不審に思った女房が、夫の留守にのぞくと女の顔が。こんな女を隠していたのかと夫婦喧嘩。たまたま通りかかった尼さんが仲裁に。尼さんも鏡を見て驚いて一言。「二人がえれえ喧嘩したで、中の女きまり悪くて、坊主になった」というのがサゲ。なかなか洗練されている。面白い噺である。

2011年7月11日月曜日

饅頭こわい

談志師匠の饅頭怖いをYOUTUBEで聴いた。かなり若いころの末廣亭での高座であった。東京人は、師匠の面白くもない一言にすぐ笑う。何が可笑しいのだろうか。長い長いマクラの中には面白いこともある。「蟻が10匹歩いてら・・」で「ありがとう」とか。くだらないが思わず声が出る。
饅頭こわいは、昔々の名作である。ラジオの時代は、多かった。それで覚えた。若いものが集まって怖いものを言う。蛇とかなめくじとか、蛙、蟻、蜘蛛、馬・・・・・松だけは怖いものがないと言うが、実は饅頭がこわいという、栗まんじゅう、酒まんじゅう、毒まんじゅうを持って来て松の前に並べる。松は選んで食べるわ食べるわ。松に謀られたと知った皆が怒って「本当は何が怖いんだ」と聞いたら「お茶がこわい」と述べる松。素晴らしいサゲである。
出町のふたばの饅頭はどうだろうか?いつも行列のできる店である。上賀茂の神馬堂のやきもちもいい。今宮神社の門前名物、あぶり餅も珍しい。

2011年7月9日土曜日

梅雨明け宣言

懐かし扇風機 今年は大活躍 これは7月8日の汽車の中である 冷房はそこそこ効いていたが扇風機で風を送っていた 先週家人から扇風機購うて来てよと言われて行ったらなんと売り切れ 3軒回ったが全部アウトでした 

2011年7月7日木曜日

愛宕山

京都の愛宕山が舞台。東京にも愛宕山があるがここでは「かわらけ」をしないだろう。いや出来ない。東京に居たときに一度、急な階段を上がったことがある。丸亀藩の間垣平九郎が馬で上った階段だ。講談にも出てくる話である。
落語の舞台は京都だが、一八は江戸っ子。旦那のお供で山遊びに出掛けた。旦那は、芸子を引き連れて、ご機嫌で30枚の小判をかわらけのかわりに投げてしまう。一八はもたもたしているうちに谷底に落ちてしまう。夢中で落ちている小判をかき集めたまでは良かったのだが、元に戻れない。谷底には狼がいるという。怖くなった一八は、なんとかして竹を使って、竹のしなりを利して飛び上がったのだが。・・・・・肝心の小判は忘れて来た。漫画のような噺である。
愛宕山は924mとか。愛宕神社の千日詣りは、7月31日から8月1日にかけて行われる。千日分のご利益があるとか。今年は日曜日なので行ってみようかな。

親子酒

まくらでは、酔った親子の会話がよく出る。自分の家は「左を曲がって3軒目、これが俺の家や、待てそれはわしの家や」で喧嘩している。隣の人が「大将、二人が喧嘩してるで」と言う。大将「ほっときなはれ、あれは親子でいつものことやから」。聴き飽きるほど聴いているが、それぞれ噺家の持ち味があって、つい笑ってしまう。
昔、収録した「日本の話芸」から桂文治師匠の親子酒を聴いた。文治師匠は、往年の名人である。伸治と名乗っていたころからのファンだった。江戸っ子らしく、粋な噺家だった。テレビは、もっぱら江戸の噺家ばかりだった。この日の舞台も親爺の飲む酒の仕草は絶品だった。塩辛を作ったのはえらい人だな。塩辛やのおやじと思うけど・・・・。何気ない間。面白い。息子も酔って帰って来た。親子は禁酒の約束をしていたのだが、二人とも破ってしまう。ぐでんぐでんに酔った親爺が息子に「7つも8つも顔が見える化け物にはこの家を譲れないと言えば、酔った息子が「ぐるぐる回る家なんかいらねえ」で終わる。見事なサゲである。来年は平治さんが文治を襲名する。ファンとしては文治さんは文治さんが一番良い。

2011年7月5日火曜日

舟弁慶

夏が来ると天神祭を連想する。 会社はこの日 半ドンだった。 天満宮さんの氏子だからか。 この噺は暑い大阪夏の出来事 節電云々はない。 お松さんの留守中に遊び仲間の清八が喜六を訪ねてくる。 難波橋から舟を出し、芸者遊びをするという。 ケチで恐妻家の喜六は渋るが、芸者たちが自分を弁慶と言わないことを条件に仲間入り。弁慶は義経にいつも付き添っているお伴さんで、いつも他人のおごりで遊ぶ人間のことをいう。今日は違う、割り勘だ。喜六と清八が舟で遊んでいるところを涼みに来たお松さんが発見。お松さん川に飛び込み、喜六と対戦。ここで喜六がお松に弁慶のセリフと仕草で応じる。見物人が「よお弁慶」と掛け声。喜六「今日は弁慶ではないぞ、割り勘じゃ」ということで終わる。弁慶の解説がないと分からないサゲである。
この噺は桂文我師匠から聴いた。文我師匠はこの田舎町に毎年やってくる。スポンサーがいるのだ。落語「通」入門という師匠の本にサインをして頂いた。師匠は、「親子らくご」で有名で、午前中に親子らくごをして、午後から独演会を開催している。なかなかの名人である。

2011年6月29日水曜日

試し酒

この噺は、確か江戸で聴いた。,誰だったか忘れた。どきどきする展開。久造さんは、やはり東北弁の方が良いような気がする。上方は井上さんとなる。尾張屋さんと近江屋さんが、5升飲めるか、飲めないかで賭けをする。近江屋さんの下男の久造さんが5升飲めるという。そんなことないやろうと温泉の豪遊を賭ける。久造さん、驚いて責任を感じて外に行くと言って出てしまう。しばらくして帰って来た。飲み始める。1升、2升・・・そして5升を飲み干す。5升は誰も飲めないというのが、先入観にある。落語らしい。驚いた尾張屋さんが負ける。尾張屋さんが久造さんに質問。外に出かけたのはおまじないでも・・・久造さん、「飲んだことがないので、前の酒屋さんで試しに5升飲んできた」意外なサゲで大笑い。面白い噺だ。
この作品は、今村信雄作らしい。真相は藪の中だそうだ。落語研究家の正岡容氏と並ぶ巨頭だ。正岡さんは、米朝さんと親交があった。5代目小さん名人の十八番だったらしい。噺は大きい方が面白い。このような作品を書きたいのだが。センスがないのが寂しい。

2011年6月26日日曜日

指南書

珍しい噺である。森乃福郎師匠で繁盛亭で聴いた。氏は珍品を探して高座にかけるのが趣味のようである。京都の清吉が主人公、男の悋気でストーリーが続く。縁があり、お花を嫁に取るが治らない。そのうちに父が亡くなる。父も心配していた。葬儀で住職さんから迷った時にと「指南書」を受け取る。ある日、草津の叔父さんに50両を届けることになった。大津に着くと、草津行の矢橋船が出るという。道中で知り合った御仁から誘われて迷った。指南書をみると「急がば回れ」とある。清吉さんは歩いて草津に。ところが大雨と強風で船が沈没。全員亡くなった。叔父さんもビックリ。
草津名物「姥が餅」を持たせて、京都に戻るとお花が二つの床を敷いて寝ている。ここで悋気が。
我慢して自分も寝ることに。あくる朝、姥が餅を食べようと二人に勧めたのだが。変な臭いが。指南書を開けると「うまいものは宵の内に食え」と書いてあった。これがサゲ。落語には、秘伝書というのもあるが、ちょっと違う。
急がば回れは、これが語源らしい。福郎師匠は博学。読書家である。彦八まつりでも「古本屋」を出している。「姥が餅」は草津南洋軒の名物、蕎麦も旨い。お店に入ると「蕎麦は蕎麦でもあなたの傍がいい」とのポスターがある。こういうお店は大好きである。

2011年6月24日金曜日

ねずみ

6月の田辺寄席。桂かい枝さんの「じっくりたっぷり」を堪能した。短パン刑事とねずみが演目だった。新作の短パン刑事、初めて聞いた。あまり覚えていない。笑うには笑ったが。帰りに地下鉄の駅で「ゴメンで済んだら警察いらん」という大阪府警のポスターがあった。「タレこみ歓迎」も本当にあった話。府警はなかなかやるわい。昔はそのフレーズ良く使っていたような気がする。
ねずみは、この前、聞いた福團治師匠と同じ舞台の岡山だった。岡山の旅籠。なんとなく江戸の噺の仙台の旅籠が良いような気がする。日光にも近いし。伊達藩だし。しかしわが故郷讃岐高松には左甚五郎の美術館があるから岡山もありかな。とらやとねずみやの遺恨騒動。ネズミはトラの彫り物を猫と思い込みじっと動かなかったがサゲ。三井の大黒、竹の水仙といい甚五郎が出てくる落語も聴かせる。知恩院の忘れ傘、東照宮の眠り猫など、伝説の人物である。

2011年6月23日木曜日

袈裟茶屋

18日(土)久しぶりに田辺寄席に行った。正月以来だ。大久保さんが体調を崩され、お元気になったとのことで、その後の様子も気になっていた。受付でいつもの大久保さんに会った。良かった。
この日は、桂かい枝さんの「じっくりたっぷりの会」だった。桂文太師匠は仲入り後に登場。袈裟茶屋との演目であった。聞いたことのない噺だった。しかし、それは、文太師匠得意の「贋作」であった。錦の袈裟の贋作。袈裟をふんどしに・・・与太郎ひとりだけもててもてて・・・
大阪は新町。東京は吉原が舞台である。隣町の若い連中に対抗して与太郎達が錦でそろいの褌をこしらえ、新町で遊ぶ。与太郎はお寺の和尚さんから明日の朝必ず返すと言って錦の袈裟を借りてくる。錦で褌をこしらえたら、それがもてるわ、もてるは。女が離そうとしない、「今朝は帰しません」。与太郎慌てて「袈裟は帰さないと困る」がサゲ。文太師匠最高。故郷に錦を飾るの錦?今度お坊さんに会うことがあったら良く見てみよう。京都は錦市場ですね。

2011年6月17日金曜日

鹿政談

米朝師匠から初めて聞いた噺。だいぶと昔のことだったように思う。奈良では町の早起きが名物とか。何しろ奈良の鹿は神さんである。その神さんが家の前で死んでいたえらいことになる。わざわざよその家まで鹿を持って行く。確かに奈良は鹿が街中に堂々と歩いている。学生時代に興福寺の境内で寝袋に入って野宿をしたことがあった。朝、ザワザワとしたあたりの様子で目が覚めた。鹿に囲まれていたのだ。怖かった。
奈良三条の豆腐屋与兵衛さん、正直者として知られていた。豆腐屋は朝が早い。暗いうちに「きらず」(おから)を桶に入れて表に出していた。大きな音がして犬がおからを食べている。割り木を投げつけると犬に当たり死んだ。これが犬ではなく鹿。鹿を殺せば死罪。代官に捕えられ、奉行所での取り調べ。お奉行さんは、豆腐屋に同情的。むしろ代官の悪行を責める。お奉行さん「その方、商売は豆腐屋であったな」「はい」「きらずにやるぞ」「まめで帰ります」がサゲ。2段サゲ?。おからは卯の花ということもあるが、関西では豆腐のように切らなくても良いから、きらずと言うことをこの噺で知った。米朝師匠はさすが人間国宝。86歳。

2011年6月14日火曜日

お血脈

平成20年2月1日池袋演芸場に13時に入場して、20時30分に退場した。93席は満席だった。豪華な顔ぶれ。権太楼・三三・扇辰・市馬・左龍・菊之丞・喬太郎・彦いち・正雀・馬桜・圓太郎・圓丈などなど。昼の部の主任は喬太郎、夜は圓丈。いずれも満足する噺だった。
お血脈(けちみゃく)は、長野の善光寺が出てくる。本多善光(ヨシミツ)が池のほとりを歩いていると「ヨシミチ、ヨシミチ」と呼ぶ声がする。みると捨てられた阿弥陀如来の像が「余は信州へ参りこちたい」というのでこの像を信州まで運んだ。これが善光寺の縁起とか。ほんまらしい。善光寺でこのお血脈の御印を額に頂くと誰もが極楽に行けるということで大変な賑わいになった。おかげで地獄はさびれてきた。そこで対策を打った。石川五右衛門が登場、首尾よく御印を盗んだものの、それを額に押したものだから、五右衛門さんも極楽に行ったというのがサゲ。お血脈というのはどんなものだろう。免罪符のようなものと解説しているものもあるが、ご朱印のようなものだろうか。演じた扇辰師匠も渋い噺家である。

2011年6月9日木曜日

結婚式風景

柳昇師匠の十八番である。大きなことを言うようですが、いまや春風亭柳昇というのは我が国では私ひとりでありまして・・・で始まる。ここでどっと笑いを誘う。実にうまい。初めて聴いたのは、昭和63年、浅草演芸ホールだった。前から2列目。ここで聴いて、すしや通りに行ったのを覚えている。
結婚式の祝辞が長い。長いことを具体例を出して皮肉る。それが面白い。仲人の挨拶は全部同じ。新郎の成績は優秀、新婦は美人。そんな馬鹿な話があるかと逆なことを言う。これが良くできている。実際に結婚式の実況中継を行う。媒酌人挨拶がこれが滅茶苦茶。新郎は勉強が好きで、小学校6年のところを8年とか喋る。新郎の上司は、新郎の悪いことばかり言う。新婦の恩師も同じ調子。実に楽しい噺になっている。柳昇師匠しかできない落語だと思う。爆笑の連続である。

2011年6月8日水曜日

はてなの茶碗

茶碗シリーズ。米朝師匠の手の使い方がバッグンである。目の使い方も。桂三風さんに2009年の彦八まつりで教えてもらった。あれは時うどんの鉢の持ち方だったが。仕草というか所作というか、オーバー目にやるのがコツだそうだ。仕草も落語の楽しみである。想像の世界に導いてくれるのは多少オーバーな方が分かりやすい。
清水の音羽の滝の前にある茶店。茶金さんが、お茶の入った器を不思議そうに眺めている。下から横から、そこで発した言葉が「はてな」。隣で観ていた油屋の行商人がこれは高価なものと思って購入。早速、茶金さんの店に持ち込む。しかしそれはただの価値のない器。どこかが漏れていただけの話。怒った行商人がケツをまくる。さすがは茶金さんお殿様にその話をする。大金が入る。油屋も大儲け。今度はみずがめの漏るのを持ってくる。「火焔太鼓」と同じようなサゲで終わる。

2011年6月5日日曜日

井戸の茶碗

最初に聴いたのは確か東京の寄席だったような気がする。自分の名前が出てきたのには驚いた。それ以来好きになった。高木作左衛門、作久左衛門とか作久左右衛門とか書いているものもある。本当はどれだろう。江戸時代のお侍さんである。細川家の家来。貧乏侍である。この侍と浪人千代田卜斎氏と正直もののクズ屋の清兵衛さんが繰り広げる人情話。
清兵衛さんが卜斎さんから仏様を預かる。それを清兵衛さんから買った高木氏、磨いているうちに50両が出てくる。お金を返すが、卜斎さんは断固断る。お金を受け取る代わりに茶碗を高木氏につけて出す。これがまた井戸の茶碗と言って名器。細川さんが300両で引き取る。卜斎さんに返そうとする。卜斎さんは娘のお絹を高木が嫁にするなら支度金として受け取るという。「磨くといい女になりますよ」と言われて、高木氏「磨くのはよそう、またお金が出ると困るから」がサゲ。

2011年6月3日金曜日

宗論

宗教のお噺。この噺は確か3年前が最初だった。そのときはアイ・ポッドのポッドキャストから入手したもので、演者は二つ目だったと思う。今回、改めて小三治師匠の宗論を聴いた。若き日の小三治さん。この頃から人気絶頂だった。今は落語協会の会長だ。もう一人の噺も聴いた。五明楼玉の輔さんは、落語百選DVDで鑑賞した。因みに、玉の輔さんは、噺家の手ぬぐい集めが趣味だ。
浄土真宗の父と耶蘇教のせがれの宗旨争い。「お父様・・」と声を裏返しにするのが、面白い。笑いを誘う。讃美歌312番を入れるは玉の輔さん。「いつくしみ深き友なるイエスは・・・」と結婚式を思い出す。「宗論はどちらが負けても釈迦の恥」とか言って喧嘩の親子の仲裁に仙台出身の奉公人権助がに入る。親爺さん喜んで、「いいこと言うなあ、権助、お前も真宗か」いや「奥州でございます」というサゲで終わる。納得。

2011年6月1日水曜日

莨の火

田辺寄席で初めて聞いた噺。林家うさぎさんだった。たばこの火と読む。難しい字です。泉州の飯(めし)の旦那。大金持ちである。今でも子孫がいるようだ。名前は飯とは言わないようだが、聞いたことがある。北新地でのお茶屋遊びでお金を皆にばらまく。気持ちがいい。そのお金はお店に立て替えてもらったもの。お店は警戒して途中で止める。旦那はお店の度量を確かめていたのだ。
大金持ちと知ったお店は挽回策にと慌てて旦那の機嫌を取る。それが凄い。しかし旦那は動じない。お店は何かお役に立つことがあればと問いかけると、「莨の火を貸して」。これがサゲとなる。どっと爆笑。とてもスケールの大きな話で楽しい。これは難しいので若い人が演じるには荷が重たい。

2011年5月30日月曜日

宮島の穴子飯


5月に宮島に行って来た。宮島といえば、「ウエノ」の穴子飯。駅弁のトップクラスである。出来立てを食した。やわらかい穴子に美味しいタレ。加古川の下村の穴子も美味しいが、宮島が一番。

2011年5月25日水曜日

鴻池の犬

3匹の犬の悲しくもつらい物語である。クロ・ブチ・シロの3兄弟の内、クロが鴻池家に引き取られる。江戸の噺家が演じるときは、江戸から大阪に舞台が変わる。クロは贅沢な生活をする。一方、残された2匹は落ちぶれて大阪にやってくる。
この噺は、枝雀師匠が演じたら天下一品とか。十八番のようである。枝雀師匠の話では大阪市内が舞台である。二番目は事故死。末弟と長兄の出会い。鴻池宅では、シーコイ、コイ、コイで好物にありつけた。またシーコイ・コイで呼ばれたと思いきや、ボンをおしっこさせていたというサゲで終わる。そういえば親は子どもにおしっこをする際にシーコッコ、シーコッコと言ってさせていたことを思い出した。枝雀師匠は、親がご当地の出身で昭和20年に疎開していたということを聞いた。生きていれば今年72歳である。弟子の雀々さんが一番似ている。

2011年5月22日日曜日

文七元結

杏太郎さんからの情報で「どうらく息子」を購入した。現在2巻が出ているようだ。売り切れで1巻しかなかった。落語好きには為になる本だ。三三師匠の監修。映画「しゃべれども しゃべれども」も監修していた。これは封切り日に観た。記念ストラップをもらったのだが、いつの間にかなくした。漫画では、滝田ゆう氏の落語劇場がある。また古谷三敏氏も良く書いている。漫画は楽しい。「銅楽」=「どうら」くということか。銅楽の息子。
「文七元結」を最初に聴いたのは、紀伊国屋ホール。平成2年と思う。星の王子様と言っていた圓楽師匠の名演であった。こんな人情話があるなんて。長兵衛の50両の物語。元結とは、日本髪をしばる紐?噺をどきどきしながら聴いた。これは江戸の落語かな。

2011年5月21日土曜日

元犬

3年前の京都大学学園祭で聴いた「元犬」が良かった。演じたのはなんと他大学(母校であったが)の女性。彼女は551の蓬莱のなるみちゃんに似ていた。司会者がそういう紹介をしていた。京都の各大学の落研のお歴々が集まっていた。女性が多かった。朝から晩まで50人くらい登場。
「元犬」は、シロのお噺。シロ犬が人間に近いそうである。そのシロが人間になりたくてお百度を踏む。そうすると人間に。落語はありえない話の連続だ。想像を超える話が共感を得る。人間になったシロは、名前を聞かれて「ただシロといいます」から只四郎と命名される。只四郎は、昔の癖が出る。ごみ箱をあさったり、チンチンしたり。女中の「もと」と仲良くせよとご主人から言われる。主人がもとを探す。「もとはどこか、もとは居ぬか」。シロは、答える。「もとは犬、今朝ほど人間になりました」がサゲ。分かりやすい。彼女が落語家になったという話は聞いていない。

2011年5月20日金曜日

犬の目

昔昔、犬を飼ったことがある。確かに目は大きく澄んでいた。その目を人間に入れたらどうなるのか。実に恐ろしい噺である。目をノミでくりぬく、落語では簡単に取れるらしい。その目を洗って縁側に干したところ、犬が食べてしまった。仕方がないから医者は犬の眼を使う。さすが落語の世界である。犬の目を入れた患者は、喜んで帰る。遠くまで良く見えるらしい。ただ、電柱を見ると、もよおして片足を上げてしまう。
眼医者ではなく迷医者だろうな。8年くらい前に目がおかしいので眼医者に行った。診断は「飛蚊症」とか。原因は老化から来るものとか。そういえば、レーシックとかいう近眼の治療法があるらしい。良く見えるらしいが、犬の目にならないか心配である。

2011年5月19日木曜日

西行

落語好きの知り合いがいる。その人はビジネスホテルの副社長。知人を通じて紹介して頂いた。実際に演じているという。日舞もやるらしいから芸達者。教えてもらったのが「西行」。なんと柳亭痴楽師匠の噺が良いという。痴楽さんは私の落語の原点。破壊された顔の持ち主、4代目である。CDで聞いた。面白かった。
西行の若き日の失恋噺。北面の武士佐藤兵衛尉憲清は摂河泉一の美女に一目ぼれ。美女からラブレターが届く。歌でのやりとりが教養を刺激する。「阿漕」という語源も教えてくれる。上方では確か「鼓滝」で西行が登場する。(川西市にある) この前、大阪南部の西行の終焉の地にも行って歌人西行を偲んできた。西行の落語は、NHK大阪放送局で映像を見ることができた。ただし、圓歌師匠である。古すぎてあまり演じないのが残念である。

2011年5月18日水曜日

動物園

前座がよくやる噺と思う。三喬師匠のお弟子さんの喬介さんから目の前で聞いた。「落語やります」と三喬さん。これが彼のトレードマーク。移動動物園で虎が死んだ。困った園長の長谷川さんが虎のぬいぐるみを着てくれる人を探す。1日1万円のアルバイトに応じた無精者。虎の歩き方、首の振り方を教えてもらう。さあ開園。虎の周りには人だかり。虎が子どもに向かって「パン呉れ」と声を出す。驚く子ども。しばらくして今日のメーンイベントのライオンとの対決が始まる。そんなことを聞いていない虎。ぶるぶる震えている。
ここがクライマックスである。さあどうなるのか。噺は盛り上がるところ。ライオンが虎に近づいてささやく「心配するな、俺も長谷川さんに雇われて来た」。サゲが分かり易い。喬介さんからは、虎の仕草を教わった。手を交互に出して首を逆方向に振る。子どもにも受ける楽しい噺である。虎のぬいぐるみをみると思い出す。

2011年5月14日土曜日

梨の花は白い 4月に咲くのだ

江ノ島の風

なんとさわやかな題目だろうか。落語らしくない。この噺を聞いたのは、昨年9月。新宿末廣亭で桂藤兵衛師匠、この噺家も噺も初めてだった。2回目は、今年1月の田辺寄席で聞いた。演者は笑福亭生喬師匠、好きな噺家である。演題は「須磨の浦風」であった。ストーリーは、同じである。場所と登場人物が違う。上方は紀州の殿様、鴻池の金持ちだった。江戸は徳川様?三井様?忘れた。
殿様がお忍びで鴻池に遊びに来る。どういう接待をするのか考え、考えて須磨の涼しい風を殿に送ることにしたのだが。思わぬ出来事で、風の代わりに「屁」を持ち帰ることに。鴻池の旦那は怒ったが、さすが殿様「これ、怒るでない。途中で腐ったのだろう」とうのがサゲ。佐々木裁きのような殿様。やはり、関西人なので「須磨の浦風」が好きだ。江ノ島も行ったことがあるが良いところ。

2011年5月11日水曜日

化け物使い

3年前に橘家圓太郎師匠が池袋演芸場で演じた化け物使い。面白かった。珍しい噺であった。上方では1回も聞いたことがない。どうしてだろう?人使いの荒い隠居と口入屋から来た久蔵のやりとりは、関東訛りの方が良いのかも。大阪弁ではなじまないかもしれない。
久蔵さんもはじめは我慢していたけれど、隠居が化け物の出る屋敷に引っ越したのを契機に暇を取ってしまった。隠居は化け物なんか全然怖くない。一つ目小僧、大入道、狸が出てきて大騒動、どれもこれもこき使われる。隠居ほど人使いの荒い人はないというのがサゲ。こういう人は確かに居る。久蔵。そういえば試し酒に出てくる朴訥な親爺さんも久造さんだったな。

王子の狐

この噺も面白い。東京都北区王子の王子稲荷神社でのお話。実際に行ってみたことがある。嗚呼ここが舞台かと感激。鬼平も散策した場所とか。参拝の帰りに狐が女に化けるところを見かけた由さん。女を料理屋に連れ込み飲んだり食べたり。女は酔って眠る。そのすきに由さん帰る。
笑福亭たまのショート落語では「食い逃げや」になる。狐は人間に騙された。由さん、仲間から狐を騙すと大変なことになると脅かされて、お詫びに「ぼた餅」持参で王子稲荷に参上。子供の狐がその旨を母狐に伝えると、母狐は子供に言った。「ああ食べるんじゃないよ馬の糞かもしれない」。上方では高倉狐になるらしいが聞いた覚えはない。これは「高津の富」で知られる高津宮の中にある高倉稲荷が舞台だ。

2011年5月10日火曜日

七度狐

先日、桂雀々師匠の七度狐をライブで聞いた。時間が超過したのかどうか分からないが、途中で終わった。最初に麦畑で騙された。尼寺で騙された。ここで終わった。確か七度ではなく五度騙されるので、本当は五度狐と文珍さんは言っていた。本来なら狐の尾と思って抜いたら大根だったということで終わるようだ。そのサゲは是非聞きたかった。
それにしても雀々さんは顔が大きいな。面を被っているような感じであった。さすが、枝雀師匠の弟子、身振り手振りも大きく面白い噺家である。枝雀の後継者は間違いない。南光さんはちょっと違う。ま・く・らの観光バスでのうどんを食べる仕草で、客が笑わないとみるとひとことくすぐりを入れて笑わせる。さすが、芸達者。

2011年4月26日火曜日

宿題

創作落語は何と言っても桂三枝さん。最高に面白い落語家である。なにか面白いことを言うのではないかという期待感が常にある。「宿題」は桂三枝作ということで他の噺家も演じている。塾通いの息子、小学校6年生から難しい鶴亀算を出される。なかなか難しい。部下の京大出の山之内君に聞く。簡単なものである。
次にもっとややこしい宿題を持ってくる。35人の中で、ハンカチを持っている人、ちり紙を持っている人がいる。両方持ってない人は何人か?これも難しい。最後はサクランボの分け方。これを独特の間で、三枝さんは演じている。

2011年4月24日日曜日

夜の慣用句

喬太郎の新作落語の「夜の慣用句」を聞いた。柳家喬太郎は現代の人気者である。「座右の銘」→「左右の姪」がオチになっている。上司と部下の会話が面白い。座右の銘は何だと課長が聞く。部下は「棚からぼた餅」とか「馬の耳に念仏とか」言う。キャパクラ嬢は、「地獄の沙汰も金次第とか」、ここで客は笑う。
キャパクラとかは行ったことはないが、どういう会話が成立するのだろうか。調べてみると、キャバレーとクラブを合わせたようなものとか。明朗会計のようである。しかし「慣用句」というタイトルはどこからつけたのだろうか。座右の銘の方が分かりやすいと思うのだが。

2011年4月23日土曜日

禁酒番屋

上方と江戸では登場人物が違う。上方のお侍さんは松本氏、江戸では近藤氏。今まで聞いた落語家では笑福亭松喬師匠が面白かった。お城の入り口には番屋がある。2人の武士が居る。近藤氏の注文でそこを通りぬけようとする酒屋。最初うまくいくが、持ち上げるときの「どっこいしょ」でばれる。水カステーラと言い訳するのだが。この偽り者めがと番屋の役人が酒屋の遣いを一喝。
今度は油を塗って油を持参する。油で手はにゅるにゅる。中身を確かめられ、お酒と分かる。これもばれる。それではと最後は小便と称する。みんなから集めた小便。女中さんのおしっこを集めるのに苦労する。出たては、熱い。燗がしてあると喜ぶ武士。しかし、本物の小便、目にしみる。この正直者め、でオチ。素晴らしい短編小説。松喬さんはとても豊かに演じる。

2011年4月22日金曜日

ぜんざい公社

ぜんざい公社は楽しい落語。もちろん創作落語。新春の田辺寄席では、ぜんざいがふるまわれ、この落語がかかる。田辺寄席は、仲入りにお茶やお菓子がでてくる。蓮池を見ながら、なじみの顔と触れ合うことができるのが素晴らしい。さて、ぜんざい公社、サゲは同じであるが、噺家によっては脱線して、ものすごく面白いものになっているものもある。
小三治さんの噺を聞いた。これが大変オーバーな噺で、笑い転げた。多くの落語家が演じているのはビルの中で行ったり来たりする噺だ。公社=役所なので甘いのは先に吸っているというサゲが良くできている。確かに、役所はそういうところがある。今もそうだろうか。