昔々、あるところに、お爺さんとお婆さんがいました。お爺さんは山へ芝刈りに、お婆さんは川へ洗濯に。しばらくすると川上から薩摩芋がどんぶらこっこ流れてきました。お婆さんはお芋をふかして食べました。お腹が一杯になり、大きなおならを一発。お爺さんは芝を刈らずに臭かった。(草かった)というのが落語のまくら。
しかし、この桃太郎さんは、ちょっと違う。賢い子どもが親爺の桃太郎の話を聞いても眠らないのだ。昔々はいつごろ?あるところは何処?とか聞きまくる。どこでもいつでもえええやんというわけにはいかないから難儀だ。親爺よりも子どもがよく知っている。普遍的な話にするために昔昔とか、あるところにとか、にしていると子どもが言う。犬・猿・雉を連れているのも訳がある。きび団子も訳が。そうこうするうちに、親爺が先に寝てしまい、サゲはきょうびの大人は世話がないわ。
そういえば、昔昔亭桃太郎師匠は、この噺をするのだろうか?まだ本物にはお会いしたことはない。あの飄飄とした舞台は関東人向けかもしれない。出るだけで「フラ」がある噺家である。
落語関係の本を読んでいると,「フラ」という言葉が出てきますね。
返信削除信州出身の桃太郎師匠,大好きです。
桃太郎さんは信州ですか?知らなかった。高木守道さんという中日の選手・監督がいました。桃太郎さんは、守道さんの野球解説の落語をやっていますね。口数の少ない解説者に対して喋りまくるアナウンサー。これの対比が面白いですね。ところで「フラ」。語源はどうなんでしょうか。フラっとしている何とも言えない愛嬌、たとえば昇太、市馬、喬太郎、どうしても江戸が多いみたいですね。
返信削除信州の東信地方,確か上田辺りの出身です。
返信削除その辺りでは,「行こう(Let`s go)」を「行かず」と言う,というネタが出てきますが,私が生まれ育った北信地方でも同じです。
上方では,笑福亭三喬さんなど,フラがある感じではないですか?