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2011年8月18日木曜日

笠碁

人間国宝の小さん師匠の得意の噺。これは紀伊国屋ホールで聴いたと思う。たしかあの時は、圓楽師匠が「たがや」を演じたので覚えている。今日はNHKの小さん師匠を偲ぶ会で演じた笠碁のDVDを視聴。談志師匠も米丸師匠も想い出話を語っていた。「了見」を大事にする噺家だった。
笠碁は、幼馴染みの友達が碁の「待った」、「待たない」で喧嘩を始める。「ヘボ」「ザル」と言い争いになってしまう。良くあることである。2年前の借金騒動まで出てきて、両者がきまずくなってしまう。悪いことに毎日雨続きだ。退屈で仕様がない。傘がないので、菅笠を被って相手先の家の前をウロウロ。小さん師匠の目つきが最高に面白い。とうとう碁盤の音が気になって、また「ヘボ」と声を掛ける。「ザル」でやり返す。勝負しょうとまた仲直り。ところが碁盤に雨がかかる。雨漏りかと思えば、菅笠を被ったまま座っていた。これがサゲとなる。小さん師匠のなんともいえない仕草が二人の仲の良さを伝えてくれる。
権太楼師匠のDVDも観てみた。これも同じように面白かった。個性が良く出ていた。

2011年8月17日水曜日

百人坊主

文太師匠の百人坊主?を繁盛亭でやっていたので、珍しいなと聴いていたら、「大山詣り」であった。この噺は江戸が良く似合うと思った。上方は奈良の奥深い大峰山に行く。まるで役の行者ではないか。江戸は伊勢原の大山へ。だいせんではなくおおやまへ。一方帰りは、江戸は金沢八景に寄り道する。上方は和歌山の太地(たいち)へ。鯨で有名なところだ。かなり大周りしている。無理がある。
噺の筋は、熊さん(江戸では熊公)がお参りの帰りに暴れて丸坊主にされる。約束だから仕方がない。しかし熊さんは、早回りして先に帰って驚かす。太地で皆死んだと嘘を言う。おかみさんは、それを真に受けてしまう。尼さんになって読経をしているところに一行が元気で戻ってくる。ビックリ。先達は、めでたいと喜ぶ。「カカアを坊主にされて何がめでたい」「お山は晴天、家に帰ればお怪我(お毛)がなくておめでたい」とサゲる。髪形の噺だから上方でも良いがちっと無理がある。

2011年8月9日火曜日

祭ずし


桂梅団治さんの「ねずみ」に出てくる岡山の「祭ずし」である。週末に高松に行った。岡山駅は必ず経由するから時々購入する。2種類あるが、安い分である。焼き穴子、児島名物のタコ、日生のシャコ、岡山名物サワラ、ママカリ(これが岡山で最も有名、あまりに美味しいので、隣人にご飯を借りに行ったというママ借り)、エビ、椎茸、錦糸玉子、も貝、紅ショウガなどなど。これをねずみ旅館の子どもが買いに行くシーンがある。岡山の三好野弁当屋さんは、頑張っている、

2011年8月7日日曜日

片棒

柳家さん喬師匠の片棒をDVDで観た。人気者の喬太郎さんの師匠である。さすが、味がある。小さん=さん喬=喬太郎師匠とつながる。とぼけたような感じだが、表情とアドリブが最高であった。
ケチの代名詞である赤螺屋吝兵衛さん、ケチと倹約で財産を残した。さて三人の倅のうち誰に身代を譲るかを考えていた。そこで、自分が死んだらどういう葬儀をだすか松太郎、竹次郎、梅三郎の三人にそれぞれ問いただす。
長男の松太郎は、会葬者には贅沢な料理を出し、お土産まで用意して一人2,000円、三千人を呼ぶという。親爺は激怒。竹次郎は、山車を出して2晩お通夜をして、吝兵衛さんの人形を出して踊りだすと言う。イヨマンテの夜じゃないんだから、もう良いと親爺は怒りだす。梅三郎は出来る限り質素にやると言ってくる。親爺は喜ぶ。出棺もたくあん樽で済ませる。臭わないかな、もう死んでいるのでいいかと言いながら、樽を運ぶのはどうするのかと問いただすと、樽の担ぎ手が自分しかいないので困っていると言う。親爺さん、心配するな、片棒は私が担ごうというのがサゲ。

2011年8月4日木曜日

金明竹

前座噺らしい。この噺は、関西弁で捲し立てる中橋の加賀屋佐吉方から参じた男と道具屋で店番していた与太郎のやり取りが面白い。古道具を持ち込む。早口、しかも関西弁での口上に面白がる与太郎。店のおかみが聞いても分からない。「のんこの茶碗、黄檗山金明竹、寸胴の花活、古池や蛙飛び込む水の音・・・」など次から次へとリズムよく出てくる。戻って来た主人が問いただしてもさっぱり要領を得ない。はっきりしたことがないかと尋ねると古池に飛びこんだという。あいつには道具七品を預けてあるのだが、それを買ってかな。買わず(蛙)でございますがサゲ。
三代目金馬師匠の噺が絶品とか。三代目は、はきはきとして声も良く通る。しかも面白い。あの顔がいい。落語家そのものである。
三遊亭圓丈師匠は出身の名古屋弁でやるようだ。一度聞いたが忘れられない。圓丈師匠ならではのアレンジだ。

2011年8月1日月曜日

佐々木裁き

この噺ももとは上方噺。西町奉行の佐々木信濃守がお忍びで市中を歩いていると、子どもが裁判ごっこをしている。佐々木殿は邪魔だと棒で追い払われる。見ていると桶屋の倅の四郎吉が佐々木信濃守を名乗り、采配をふるっている。感心した信濃守は、親と四郎吉を奉行所に呼ぶ。親はひやひやだが、倅は堂々としたもの。信濃守の質問にも頓知を利かせてスラスラと答える。挙句の果てに信濃守をアホ、馬鹿と決めつける。
米朝師匠のサゲは、当時、浪花の街の袖の下社会が背景にあったと前もって説明した上で、箍が緩んでいるのを佐々木信濃守と四郎吉が皆の前で、引き締めるという話にもつていき、引き締める筈や桶屋の倅やからとしている。米朝師匠の途中途中で入れる解説は為になる。そういえば、今の大阪市北区西天満は、昭和40年代は、与力町とか、同心町とか、良い名前があったなあ。この噺にも出てきて懐かしかった。