この噺ももとは上方噺。西町奉行の佐々木信濃守がお忍びで市中を歩いていると、子どもが裁判ごっこをしている。佐々木殿は邪魔だと棒で追い払われる。見ていると桶屋の倅の四郎吉が佐々木信濃守を名乗り、采配をふるっている。感心した信濃守は、親と四郎吉を奉行所に呼ぶ。親はひやひやだが、倅は堂々としたもの。信濃守の質問にも頓知を利かせてスラスラと答える。挙句の果てに信濃守をアホ、馬鹿と決めつける。
米朝師匠のサゲは、当時、浪花の街の袖の下社会が背景にあったと前もって説明した上で、箍が緩んでいるのを佐々木信濃守と四郎吉が皆の前で、引き締めるという話にもつていき、引き締める筈や桶屋の倅やからとしている。米朝師匠の途中途中で入れる解説は為になる。そういえば、今の大阪市北区西天満は、昭和40年代は、与力町とか、同心町とか、良い名前があったなあ。この噺にも出てきて懐かしかった。
東京では「佐々木政談」というようですね。
返信削除三代目金馬の「池田大助」をCDで聞きましたが,これも同じような話でした。
西天満に裁判所がありますが,関係あるのでしょうか。
池田大助さんですか?金馬さんの噺ではそうなるのですね。この四郎吉が後の池田大助さんになるようですね。信濃守も大岡越前守に。
返信削除大阪地裁は、西町奉行所とは関係ないようです。本町の会議所あたりにあったとのこと。但し、与力町、同心町は地裁の北側にあってそこに住んでいたとのこと。昔の地名をセンスのない地名に変更するのは許せないですね。京都はその点、素晴らしい。