仁鶴師匠が2021年8月17日にお亡くなりになった 1937年生まれ 享年84歳 1962年に松鶴師匠に入門 その後の活躍はご承知の通り 私が最後に師匠の舞台を見たのは10年くらい前 なんば花月であった 15分くらいの持ち時間では漫談のような話で舞台を降りた
仁鶴師匠の入門当時の様子を「青春の上方落語」で読んだ 枝雀師匠と同じくテレビやラジオの素人演芸会で大活躍していた 同じ時期である 先に枝雀さんが米朝師匠に弟子入り 続いて仁鶴さんが別の師匠に弟子入り 同じ師匠ではまずいと思ったようだ 25歳でこの世界に入った 当時の上方の噺家は20数名 なんとか60名くらいにしたかったようだ
仁鶴さんはとりあえず3年くらいは精出してがんばってやれば、向いている向いてないが分かるだろいうという気持ちだったらしい 仁鶴さんの親も昔は浪曲家を目指していたようで親の理解もあった 血筋というものか
翌年の1963年に吉本興業に入る 松鶴師匠は松竹芸能だったが芸風からして吉本があっていたのだろうか 「吉本向き」と幹部が判断しスカウト 結果的にこれが良かった 吉本のお笑いにのったのである 1966年深夜ラジオでデビュー 私が大学2年の時である その後「ヤングおーおー」でも人気者になった あの独特の喋り方が印象深い
何度も舞台で拝見したが 晩年は舞台に上がらず もう仁鶴の時代は終わったと感じた そこが残念である これは仕方がない 舞台にあがってこそ親しみを感じる やはり年齢的なものもあるだろう 米朝師匠がそうであった ひと時代を気づいた仁鶴師匠に感謝したいと思う 合掌
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