ページ

2014年2月25日火曜日

笑福亭たまの崇禅寺馬場はオリジナルだった

久しぶりに足を運んだ「寺西家」の如月席。たまさんの崇禅寺馬場で始まった。江戸では鈴ヶ森。続いて文太師匠の「寝床」。旭堂南海さんの「矢頭右ェ門七」の講釈があり、トリは再び文太師匠の「五両残し」これは江戸では「星野屋」。以上4本を聴いた。丁度このくらいが良い。最後はお楽しみ抽選会があって全員に何かが当たった。私はミスタードーナツ。200円くらいか?何か当たるのは誠に嬉しい。


たまさんは京都大学出の噺家。独身。はやくも人気者となっているのはさすがである。外野席からは冗談で税金の無駄づかいと言われているが、別に京大だから噺家になってはいけないということはない。皆さんは笑っているけど、親は泣いているとは、高学歴の噺家に対するジョーク。学歴は関係ない。いつもはショート落語で始まるのだが、この日はソチ五輪で始まった。バイアスロンの射撃のネタで笑わしてくれた。また、巷でささやかれている嘘か本当か分からない「都市伝説」をいくつか紹介してくれた。崇禅寺馬場は福郎師匠で一度聴いたが、たまさんは少しアレンジして単純な噺に変えていた。時々、古典をアレンジしているようだが、これからもどのように創作するのか楽しみである。

2014年2月15日土曜日

動楽亭2月 トリは雀三郎師

動楽亭の席亭は桂ざこば師匠。地下鉄動物園の近くにある。家から歩いて約40分というのが有り難い。2回目の訪問。前回は米團治、南光師匠が出ていて満席だった。今回の2月8日の昼席は、鯛蔵(代脈)、佐ん吉(桃太郎)、紅雀(花色木綿)、文之助(不動坊)、中入の後は団朝(阿弥陀が池)、トリは雀三郎(哀愁列車)であった。14時から始まり16時30分過ぎに終わった。はじめtの噺家は鯛蔵、佐ん吉、団朝だった。


一番面白かったのは団朝かな。もちろん雀三郎は余裕の舞台、2月1日の朝日放送の上方落語を聴く会と同じ噺だったのが残念。文之助も熱演だった。ここは米朝事務所のホームグランドであるが、笑福亭も林家も出るので、丁度良い寄席小屋である。1日から20日までの昼席は本当に落語好きという連中が集まるところである。

右喬の平の陰


右喬さんはこのたび「第8回繁昌亭爆笑賞」をもらった。本人の弁によると今まで賞はもらったことがないと言う。マクラでは今までのアルバイトの噺を朴訥に語る。それが実に面白いのである。なんとも言えない。爆笑賞をもらった訳が分る。これからも頑張って欲しい噺家である。

平の陰は右喬さんの得意ネタのようだ。江戸では「手紙無筆」とか。右喬さんは松鶴さんに似た話し方をする。手紙に書いてありませんか?と尋ねると「書いたある」とおやっさんが答える。この「書いたある」が何回も出てくるのが面白い。噺の方は単純だが二人のやりとりがあきない。

喬介の「金明竹」


喬介さんは初めに「落語やります」でスタートするのだが、今回はそれがなかった。卒業したのかもしれない。三喬師匠の2番弟子。入門9年目である。ちなみに松坂似の喬若さんは1番弟子。

金明竹は前座噺とか。早口が噺家としての練習台になるのだろうか。古典の中の古典である。黄檗山金明竹というくだりがあるがそこからとったのだろう。黄檗山万福寺は宇治にあるお寺だが、一度学生時代に行ったことがある。そこに金明竹という竹があるのだろうか?金色の竹?。この噺は大阪弁の早口が面白くて何回も言わして喜ぶところが面白い。だが名古屋弁もある。圓丈師匠がやる。また東北弁で演じる立川流の噺家もいる。いずれも江戸でやるから面白いというというのが私の意見である。

笑福亭仁扇師匠の「胴切り」は大人の噺


昨年11月の豊田亭での仁扇師匠。なかなか大阪では見られない師匠であるので貴重である。打ち上げでお話したが、愉快な噺家であった。仁鶴師匠のお弟子さんは一番弟子が仁智さん、次が仁福さん、その次が仁扇さん、7人の弟子の中での三番弟子。仁鶴師匠は昭和40年代は物凄い人気だった。最近では難波のNGKでご本人の出番を見たが、落語ではなく漫談であった。

胴切りとは物騒な噺だが、なんのことはない。胴を切られた男。胴と足が切り離された。胴は風呂屋の番台に座り、足は麩屋の職人になった。兄が番台に弟が麩屋に。風呂屋の番台に座った兄が目にやり場がなくなり、目が霞んで来た。足に「やいと」をすえたら良くなるというので、使者が弟のところにやってくる。弟はお尻からモノを言えるようになっていた。やいとが終わってから弟が兄に伝えてくれと使者に言ったのは「兄貴あまり女湯を覗かんようにして呉れ。前のモノが元気良すぎて困るから」ということでオチがついた。麩屋というのは昔は多かったんかいな。最近ではあまり食したことがないけど。