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2014年5月1日木曜日

桂千朝師匠の抜け雀


昭和の日。地下鉄昭和町近辺は賑わっていた。田辺寄席も今西家住宅で1日4回開催、文太師匠は4回全て出演していた。演じたのは「七度狐」、「坊主の遊び」、「へっつい盗人」、「文六豆腐」。さすがの私も1回で充分。3回目の公演を聴いた。露の紫「金明竹」、喬楽「上燗屋」、トリは桂千朝師匠の「抜け雀」であった。文太師匠は「へっつい盗人」。たくさんのお客で満席状態。若い人は紫さんが目当てか?二葉さんもアフロヘアで居たな。私は大好きな喬楽さんがお目当てだった。

千朝師匠は初めて。噺の最中に金の屏風が倒れてきたのには驚いた。丁度佳境に入ったところだったので残念であった。舞台は小田原。一文無しの浪人。障子に雀を書くと、その雀が朝日と共に外へ飛んでいく。それが評判になりお殿様がその障子を買おうとする。浪人から自分が帰ってくるまで、それは売ってはならぬと言われている亭主。雀のお宿は連日の超満員でご満悦。そこにやって来た浪人の親爺。これでは雀が死んでしまうと、障子に籠を書いた。その後、1年ぶりに宿に戻ってきた浪人、その籠をみて、ああ親爺を「籠かき」にしたと親不孝を嘆く。サゲは明快。師匠もさすが上手で噺はなめらかであった。これは左甚五郎ではないようだ。甚五郎は「竹の水仙」と「ねずみ」が有名だが、抜け雀は知恩院の七不思議の抜け雀だろうか

2014年4月23日水曜日

露の瑞は可愛い


露の瑞(みずほ)は都師匠の4番目の弟子。雅、眞、紫の次。田辺寄席で初登場。小柄で着物が良く似合う女性だ。京都女子大卒。演目はお馴染みの「動物園」。なかなか落ち着いている。切れ味も良く、大阪弁の使い方も宜しい。ネットで検索すると昔々なんと桂雀々師匠の弟子だったようだ。桂鈴々と言ったらしい。どうりで上手である。また、何といっても可愛らしい。これは楽しみである。誰かに似ていると思ったら、江戸の「ぴっかり」を思い出す雰囲気だ。都一門は最近紫も活躍しているようで、楽しみな弟子が入った。

動物園は小学生にも大うけの落語である。うちの孫も聞いたらしい。だいたい園長は長谷川さんだったが、瑞の場合は前田さんだった。どうしてだろう?瑞の本名と違うし、どこから持ってきたのだろうか?よくあるのが、米朝の中川さん、松鶴の竹内さん、枝雀の前田さん、いずれも本名を時々使っている。そういえば、江戸の禁酒番屋は近藤氏、上方の禁酒関所は松本の旦さん。それぞれ違うのも面白い。

2014年4月22日火曜日

春駒さんを偲ぶ会(田辺寄席)


今日は、昨年12月31日にお亡くなりになった春駒師匠と同期の噺家が「偲ぶ会」をするというので、是非行きたいと思って田辺寄席に足を運んだ。昭和46年入門は、文太師匠、仁智師匠、雀三郎師匠の4人。春駒師匠はどちらかといえば、地味な存在。だが頭は4人の中ではふさふさしていたことを思い出した。文太師匠の話によれば、桂きん枝さんとは同じ高校だったとのこと。きん枝さんは昭和44年入門、2年早かった。春駒師は独特の語り口調があった。固いと言うか昔の警官のような感じであった。

この日は仲入り後に3人で春駒師の思い出を語った。文太師匠が司会進行役。全員同じ一門ではなかったため、そんなに深い付き合いではなかったとのこと。笑福亭、枝雀、文枝。春駒師は春団治。このような話は滅多に聞けない。それぞれの個性が良く出て良かった。お客さんもいつもより多くて期待している様子が分かった。春駒師のDⅤDがあった。上方落語の会。演題は「親子酒」酒のみの親子が喧嘩をしてしまう。こんなぐるぐる回る家は要らんというのがサゲ。実におもしろい噺である。春駒師のご冥福をお祈りしたい。

2014年4月4日金曜日

風喬さんの短命



この短命は、伊勢屋の養子が若死にをしたことで噺が始まる。これで3度目だ。何が原因か?嫁さんの器量が良すぎるのが原因らしい。嫁さんの手が養子に触れると若死にするらしい。それを聞いた八五郎は家に帰り、お茶漬けを食べて女房に給仕をしてもらい茶碗を受け取るときに手を触ってもらおうとして確かめたのだが、女房の顔を見て、ああ俺は短命ではなく長命だというのがオチ。
手が触るというのは今では通じない話だそうである。今は手が触ったくらいではなんともない時代。昔はそうではなかっjたようである。  

風喬さんは少しとぼけている感じがある。見た目がそうである。名前の通り風貌がそのような感じ。
松喬師匠の最後の弟子で、右喬さんの方が先輩のようである。たんたんと喋り、どことなくとぼけた味を出している。                                          

2014年3月30日日曜日

談志はやはり凄い噺家である

談志の噺を聴いた。こういう噺家はしばらくは出ないだろう。テンポが良い。面白い。なんでも良く知っている。客を喜ばす。良く勉強している。ただ、毒づくというか、天狗になっている。俺より偉い人はいないだろうと思っている節がある。いわゆる破天荒な噺家であると思う。

東京には昭和44年4月から7月まで住んでいた。末広とか紀伊国屋ホールで談志を聴いたことがあると思う。しかし、そのころは談志も若かったからそんなに有名ではなかった。真打になったのが昭和38年、その前に真打になった志ん朝は若くても有名だった。志ん生の息子だからといいうことで。圓楽は紀伊国屋で「たがや」を聴いたのが初めて。そのころは、歌奴さんの授業中で「山の穴、穴・・・」という話がブレイクしていたのを思い出す、もちろん痴楽の綴り方教室も最高だった。大阪に転勤してからは、島之内寄席によく通った。ミナミの「暫」での寄席は雰囲気が良かった。落語歴50年、いやはや飽きないものである。

文太師匠の茶論亭


桂文太師匠が行っている落語教室(近鉄文化サロン)の生徒さんの落語会に行ってきた。今年1月13日(日)高津宮の高津の富亭で行われた。演じられた噺は、始末の極意、餅屋問答、持参金、くっしゃみ講釈、代脈、高津の富、仲入りの後は、猫の皿、親子酒、初天神。そら豆さんは「くっしゃみ講釈」を演じた。一番良かったのはそら豆さんの「くっしゃみ講釈」だった。講釈師の噺だが、これが実にすばらしかった。

くっしゃみ講釈は、上方で良く聞く話である。後藤一山という講釈師への仕返しのために二人が胡椒を買いに行くが胡椒がなく、唐辛子を購入、それを火でくすぶるとくしゃみが出るは出るは、講釈にならない。講釈師が二人に何か故障でもおありか?と聞くと、二人は故障がないから唐辛子を買ってきたんやというのがサゲとなる。そら豆さんがくしゃみを何回もするしぐさが良かった。この噺を聴くといつも中学時代を思い出す。ポケットから胡椒を振りまいていた輩がいた。みんな「ハクション」「ハクション」。花粉は飛んでいない平和な時代の話である。

築地の寿司は大行列



大江戸線の築地駅から直ぐの磯寿司。限定30食に惹かれて入ると東南アジア系の若者が先客で入っていた。二人は写真を撮りまくり食べることはそっちのけであった。マグロがとても美味しかった。2500円は手ごろなお値段で、味もさすが築地である。文句なし。なかなかの穴場である。奥に入るとものすごい行列が出来ているお店もあったが、ここの磯寿司も大変美味しい。

文枝さんが三枝時代に作った創作落語に「にぎやか寿司」というのがある。にぎやかというのはな名前だけで誰も客がいないお寿司やさん。そこに入ったサラリーマンと大将との会話が三枝さんらしいストーリーになっている。小朝さんの「ぼやき酒場」も同じような噺。これも三枝作かもしれないが、やはり上手い人になると本当に楽しい噺になる。

この約2か月は写真がうまく入らず、四苦八苦していたがようやくアップできるようになりやれやれである。