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2013年12月16日月曜日

林家染吉さんの癪の合薬


染吉さんはなかなかの男前である。来年「三代目林家菊丸」さんを襲名する染弥さんも男前なら染吉さんも負けないくらいである。林家染丸師匠の弟子は13人。染吉さんは12番目の弟子。32歳である。入門6年目の若手である。林家の紋は「ぬのじうさぎ」という可愛らしい紋であることを説明してくれた。そういえば「うさぎ」であるし、林家うさぎさんも居る。面白いなと思った。

さて、癪の合薬は、とある良家のお嬢さんが癪を起こすが、なぜか「やかん」をなめると治るという噺。そういえば、その人によって治る不思議な薬があることはある。水とかお湯とか。知り合いで「お茶は駄目で白湯なら良い」という先生がおられた。まあそれはいい。今回の癪とは。胸や腹が急に痙攣(けいれん)を起こして痛むことをいうらしい。そういえば、癪に障るとも言うし、癪だけど・・・ともいう「癪」。女の人に多い病らしい。お嬢さんが道を歩いていると急に蛇が出てきて、癪が起こった。お供の女衆がやかんを探すがない。ふと見ると土手をやかんのような頭をしたお侍が歩いている。女衆が頼んでいるとお侍の家来の可内(べくない)が笑う。ここが面白い。結局、なめさしたのだが、なにかひりひりする。歯形がついている。可内(べくない)なんともないか?ハイまだ漏るところまでいっていません。がサゲ。こういう噺はわりと好きである。江戸では「やかんなめ」ズバリである、

2013年12月15日日曜日

松喬師匠を追福する宿場寄席


草津の宿場寄席は松喬師匠の弟子たちの落語会だった。孫弟子の喬介さんが「金明竹」、風喬さんが「短命」、遊喬さんが「禁酒関所」。仲入りがあって右喬さんが「平の陰」、トリは一番弟子の三喬さんの「鹿政談」を演じた。終わってから松喬師匠の想い出話を全員が語った。三喬さんが司会をし、失敗談を面白おかしく披露した。これだけでも値打があった。

そのあとに、お楽しみ抽選会となった。手ぬぐいやらサイン入り色紙、ファンにとっては貴重なものが次々と出てきた。一緒に行った杏太郎さんには右喬さんの手ぬぐいが当たった。右喬さんは今年の繁昌亭の爆笑賞をもらって今人気者の噺家である。だんだん抽選も終わりに近づいてきて当たるように祈っていたら私にも当たった。なんと松喬さんの手ぬぐいであった。これはこれは、良かった。二人とも当たるとは、幸運な一日であった。大阪からは遠い草津まで行った甲斐があった。
 

2013年10月5日土曜日

雀喜さんの「帰り俥」

雀喜さんの「帰り俥」は初めて聴いた話である。これは単純な噺だが、実に面白い。饅頭屋の主人が俥に乗って、上町に、北浜に、梅田に、伏見に、丹波の園部に、舞鶴に、そしてロシアに行くという馬鹿馬鹿しい噺であった。オチはゴルバチョフ。俥屋は店じまいしょうと思っていた矢先に饅頭屋が乗ってくる。得意先から頼まれてた婚礼の祝いの鶴亀の饅頭を店の者が間違って葬礼の饅頭を渡したらしい。主人が交換しょうと思って得意先を訪ねて回る。ようやく伏見で捕まえるのだが、そこでとんでもない先に回ることになる。帰り俥がとんだところに行く羽目になるという噺。

雀三郎師匠のネタ。作者は落語作家の小佐田定雄氏。小佐田氏は枝雀師匠の作品を多く手がけ、信頼は絶大なものがあったようである。氏が最近書かれた「枝雀らくごの舞台裏」を読むとよくわかる。私自身は憧れの作家である。なかなかそういうストーリーが浮かばない。面白い話は好きだし、よく知っているが、進まない。古典からヒントを得て、創作に発展しているようだが書けない。私の夢は「創作落語」で賞金を得ること。

雀喜さんの中学生ブルース


田辺寄席の長月席で桂雀喜さんの「新・じっくりたっぷりの会」。自作の「中学生ブルース」と古典の「帰り俥」を聴いた。どちらかと言えば「帰り俥」が面白かった。「中学生」は自分の中学生時代の創作であった。吹田の山田中学?竹藪にエロ本が捨ててあった時代 時代背景が分る分る その時代にあった本当の話 中学の正門近くに怪しい男が立って本を売っていた。口上が面白い。裸が絡み合っているビデオとかセミヌードの写真とかどうやと中学生に言い寄ってくる。家に帰り深夜にその本を開けると「相撲の写真」であったり「セミ」図鑑であったり、騙されていたのだ。オチも兄貴も同じように騙されていたということで終わる。

雀喜さんは、橋下市長と同い年とか言っていた。真面目そうである。顔に出ている。桂米朝さんの弟子の桂枝雀さんの弟子の桂雀三郎の一番弟子。きっとヨーデル食べ放題も歌っていたのだろう。ヨーデルはヨーグルトか何か食べ物かと思っていたら裏声のこと。とんだ誤解だった。焼肉食べ放題をヨーデルで歌っているのだ。このあたりの解説をマクラで振ればいいのにと思う。真面目なのが吉と出るか凶と出るか?本人の個性を発揮して欲しい。

2013年9月25日水曜日

松喬師匠の4番弟子喬楽さんの寄合酒


喬楽さんが松喬師匠の想い出と選んだのが「寄合酒」だった。酒にまつわる噺は多い。親子酒、試し酒・・・、禁酒番屋、居酒屋、花見酒、夢の酒などなど。寄合酒は上方でしか聞けない噺だと思う。笑福亭の得意ネタ?かな。調べてみると前半は寄合酒、後半は「ん回し」らしい。同時に続けて聴いたことはない。そういえば、寄合酒には「オチ」がないなあ。噺の途中で終わってしまう。

喬楽さんは汗っかきである。体型も小太りである。そういえば松喬さんの弟子は三喬さん、遊喬さん、生喬さん、喬楽さんと続くが、全員大柄である。なかでも喬楽さんがよく汗をかくようだ。この日も断りを入れて熱演した。テンポの良い話しぶりで楽しませてくれた。師匠の十六夜も続けるとのこと。早速10月は鶴瓶師匠が登場するようである。松喬師匠も喜んでいることだろう。田辺寄席で9月に特集していた追悼文では多くの落語通が想い出を語っていた。上方落語界の大きな損失であることには変わりない。


 

2013年7月31日水曜日

松喬師匠さようなら

毎日毎日師匠のホームページとフェイスブックはチェックしていた 今朝ふと毎日新聞のオンラインのニュースをチェックしていたら松喬さんの字が見えた あれ・・と思って目を凝らした 30日にお亡くなりになったという記事だった 遂にその日が来た 62歳 これからという年に残念です 後援会には入っていた チケットを申し込もうとオフィス笑に電話をすると師匠が出てきたので驚いた あのかすれ声でもっちゃりした関西弁で応対してくれた 師匠お元気でと電話を切った

2011年12月の紅梅亭の時にはガンの治療で休演、2013年4月の草津の宿場寄席も休演 2013年7月の十六夜 これが最後の休演となった しかし今年の6月の一門会は出演しその後体調を崩された それが最後の公演になるとは そのときのマクラでは私が死ぬときはガンやのうて栄養失調ですわと皆を笑わしていたが私は笑う気にはなれなんだ そのくらい気が弱っていたのだ 一番元気だったのは2012年7月のさん喬・松喬二人会だっただろうか このまま良くなると信じていたのだが ほんとうに残念である あとは師匠が育てた三喬、生喬、喬楽さんをしっかり応援していきたい さようなら師匠 

2013年7月27日土曜日

田辺寄席のペアチケット当たり



文太師匠の開口ゼロ番(文太の前ばなし)は叩く太鼓の音が何に聞こえるかというクイズであった   
 雷とか雨とか雪とか最後には津波(これは小学生の答で感性にビックリしたと言っていた) 面白かったのはあるお客さんが「太鼓」と言ったのには驚いた そのままである 文太師匠も苦笑いだった 
さて今日の出番は米團治の弟子の團治郎が「七度狐」を、米輔師匠が「崇徳院」、仲入りが入って文太師匠が「ぞろぞろ」を演じた 米輔師匠は残念ながら淡々と盛り上がりもなかったので眠くなった 良かったのは團治郎である 身長が180を超えているのが自慢のよう 一番弟子で噺も上手だった 勢いを感じる 今日の文太師匠のぞろぞろもいつもと違いと淡々として物足らなかった

右喬さんの「壺算」とマクラは良かった この日は右喬さんのたっぷりの会だから当然であるといえば当然 張り切らざるを得ない 四国八十八箇所を野宿で回ったとか そのときの話をマクラにして笑わしてくれた 壺算とは全く関係のない話ではあったが
この日はお客が少なかった おそらく前日の南光師匠が多かったのだろう だから笑呆亭のクイズは当たる確率は高かった クイズも正解し(今回は正解者が少なかった)抽選を待っていると「当たり」の名前が読み上げられた これで2回目 8月の田辺寄席のペアチケットが商品 春蝶さんが出るので是非行きたい。

新・じっくりたっぷりの会-笑福亭右喬の段 649回


21日に開かれる予定だった松喬師匠の十六夜(第四夜)が師匠の体調不良のため中止となった 残念 4月の第三夜の時に前売りを買っていた そのときも体調が下降気味の話をしていた 声がでないと言っていた 6月の一門会では本当にしんどそうだった ホームページも更新されないままであったので、ひょっとするとと思っていた 体調を整えて出てきて欲しい 切に願うばかりである
21日は田辺寄席をやっている プログラムをみると師匠の5番弟子の右喬さんが出ていたので行くことにした 私が親しくしている喬楽さんの次の弟子である

右喬さんが二席、「平(ひら)の陰」と「壺算」である 平の陰は江戸では手紙無筆とか無筆の手紙 
 上方では平の陰 手紙を読んで欲しいと頼まれるが頼まれた方は正直自信がない 頼んだ方がいろいろとヒントを与えてくれる 書いたある 書いたあると・・・ お膳を貸してくれ、盃を貸してくれと言われているのやけど・・ああ書いたある なんで盃のことを読んでくれへんかったんや? それはお膳の陰に隠れて見えへんかったんやがオチ お膳の陰ではなく大平椀(おおきなひらべったいお椀)の陰に隠れてというのが本来のオチやそうだが まあなんでもええ 二人の会話だけで十分である 右喬さんはマクラで師匠が毎年行っている北海道公演を今年は代わりに呼ばれて行ったことを話してくれた これは少し面白かった

2013年7月15日月曜日

小枝の小倉船


小倉船は門司と馬関(昔は下関のことを馬関といった)を結ぶ船のこと つまり馬関海峡(今は関門海峡)を渡る船のことである そういえば馬関戦争というのもあったなあ 明治維新のころ 長州藩が外国船籍の船に発砲した事件 また巌流島も昔は小次郎と武蔵が戦った 下関に行ったことがあるが本間に目の前が九州だった この風景は好きだ 香港も同じような風景 ここが舞台の噺である なぞかけやフラスコや竜宮城が出てきて賑やかな噺だった どうも小枝はこの噺が好きなようで息子が独演会に行ったときも小倉船を演じたとのこと

小枝は確かに人気がある あのおかしな声で エーとやると笑いが起こる どうしてだろう テレビのせいかな レギュラーも持っているしカイロの宣伝でも有名 白塗りもしていたし奇抜な噺家である 三喬は高校時代に小枝と進路を巡って相談したらしい 面白い関係である これから小枝の噺に注目したい

小玉西瓜を初めて食した スイカはどことなく船に似ている 小倉船ではなく西瓜船 今は西瓜のシーズンである 大栄西瓜は今週で出荷が終わるとのこと
これからは倉吉の西瓜である「極実スイカ」が出てくる。極実は銀座の千疋屋にも卸しているとか

雀々は顔も芸も濃い


枝雀の4番弟子の雀々 枝雀師匠に一番近いと言われている 本人もそれは意識しているようで枝雀師匠の芸風を真似しているように思える 昨年から活動を東京に移して活躍している模様 春蝶も同じである 雀々さんの濃さとコテコテの大阪弁が東京で受けているかどうか少し心配なところだが 東京にも枝雀師匠のファンがいるので心配はない 高座に上がるなり「けい・じゃん・じゃん」と言って笑わす 大きな顔だ こんなに大きかったかな?得意の梅田の陸橋での小噺をする 本当になぞなぞおじさんはいるのだろうか?駐車場で9番だけが空いている どうして どうして 「車は急に止まれない」 清少納言は毎晩寝る前にどうしている わからない 枕の掃除をしている どうして どうして 枕草子 枕草子・・・・・何回聴いても笑ってしまうから不思議だ

今日は分けのわからん面白ない噺です と繰り返し繰り返ししつこく言ってじらす もう昔からある噺だそうだ そういえば私の持っている古い本にも出ている アタマヤマとなっている サクランボを食べてた男の話である 種が残って頭に桜の木が生えてきた 近所の人が花見にやってくる、宴会をするわで賑わう 男は今度は桜を抜いてしまう そこに池ができる フナや鯉が集まり、釣り堀になる 男は池に飛び込んでしまうという噺 小松左京張りのSF小説である あまり聴かない噺で結構面白かった 雀々さんの関東での活躍を祈念したい 

2013年7月14日日曜日

市馬の歌が聴きたかった


市馬は五代目小さん師匠の弟子である 落語協会副会長 会長は兄弟子の小三治師匠だから二人の兄弟弟子がきちんと協会を支えている 51歳か まだ若い 老けてみえる 芸風が地味のような感じはするが風格はある 小さん師匠と同じように剣士である 歌も上手い 春日八郎張り 確かに美声である 高砂やをうならすと最高である この日は昼席・夜席の2回公演だったようだ 夜席は団体の貸切とか どこだろう? 市馬は夜席では「片棒」を演じたようだ 芋俵も聴いたことがあるが上手である 今日は得意の喉で魅了することを期待していたが残念 聴けなかった

将棋のマクラから始まった 志ん生師匠が楽屋で「待ったクラブ」を作っていて大勢が参加していたという しかし最後は志ん生師匠の勝ちで終わる 「待った」は将棋や碁ではよくあること 「待った」で有名な噺は「笠碁」である 後ろの女性が面白いことを言っていたのが気になった オチの菅笠から落ちる水を嬉し涙と思っていたというのが気になった それでは「笠碁」にならないのだが そう解釈するという人もいるということだ 残念だが 市馬さんには小さん師匠のような「目つき」になっているか注目していたが・・・イマイチ 「ザル」とか「ヘボ」のあたりは良かったのだが

2013年7月13日土曜日

上方落語の三喬は髪形落語家

三喬がマクラで言うのは決まっている お客さんからいつも言われますねん「三喬さん いつも髪形がぴちっと決まっていますね」「はい 私は上方の噺家ですから」 ほんまに三喬さんの髪形はいつみても角刈りが決まっている 植木の手入れではないが見事だ 三喬の得意ネタは泥棒もの盗人ものである 顔がどことなくそういう感じがするといえば失礼にあたる 一度打ち上げでご一緒させていただいたが素顔は至って真面目である 噺も上手い 時事ネタもたくさん取り入れお客さんを笑わすところなどは上方でナンバー1である

三喬は「鷺取り」を演じた この噺は何回も聴いたことがある 上方でしかやらない噺かもしれないそのくらい馬鹿馬鹿しい噺である 最初はスズメを一度に取る方法 「トリトリ」 伊丹名物はみりんのしぼり粕のこぼれ梅と南京豆(スズメが寝る枕)で仕掛けるが失敗 ここでは江戸のスズメが出てくるがこれを喬太郎雀と呼んでお客を笑わす このあたりが三喬のアドリブ 絶妙である ツボを心得ている この日は時間の関係か鷺取りの最後のオチ(四天王寺の五重の塔から飛び降りる)まではいかず トリを取る商売で成功して全国の駅前にチキンの店を作ったというケンタッキーフライドチキンのオチで終わった まあそこまで考えるかと感心した三喬さんの苦労が伺える

 

喬太郎は人気者 古典も創作もいける


幇間腹とは「たいこ腹」 幇間とは「たいこもち」のこと そのたいこもちに鍼をうつというお馴染みのお噂である 幇間の腹に鍼を打ち、その鍼が折れる 迎え鍼を打つがまた折れる しまいにはお腹が血だらけになる いくらかお金になったのだろと聞くと いいえ皮が破れて金にならないというのがオチ 太鼓は皮が破れると音が出ない 考えオチなのでしょう 

喬太郎は若旦那?たいこもち?どちらが似合うのだろうか?やはりたいこもちタイプである 第一に茶目っ気がある 如何にもご機嫌取りスタイルである 父はイラストレーターとか 上方でいえばボンボンである 育ちの良さが分る これは一之輔にも通じるところがある 江戸ではこの手が人気が出るのだろうか 福家書店に入社して退社し、さん喬師匠に入門 師匠も浅草の洋食屋のボンボンだ 品が良い 喬太郎は古典も創作もいける この日は古典だったが創作物もぜひ聴いてみたかった

2013年7月12日金曜日

一之輔の凄さ

春風亭一之輔は、真打になって1年 昨年東京で襲名披露興行を見たばかりである その後、寄席、ラジオなどで活躍 関西には滅多に来ない 数える程ではないか この日も日帰りだったようだ 喬太郎さんから聞いた 二人とも日大の落研だから仲が良いのだろう 同期は三遊亭王楽、上方では市楼とか2001年入門 市楼と比べて悪いが一之輔の実力は相当高い 天狗になっている態度が今までの噺家にないタイプなので人気があるのだろう

「初天神」といえばお馴染みの噺であるが一之輔の「初天神」はどこか違う 得意ネタだけあって至る所で面白さを倍増しているのだ 想定外の会話が実に面白い そもそも子どもが違う 自分なりに変えて大人のような口をきく子どもに仕立てている それがまた受ける おとっさん大好きだよ 俺はそれほどでもないよ 果物買って 飴買って みたらし買って・・・とねだる金坊 叩かれて鳴くと思うだろう とか 金坊が脅しをかけたりするのが一之輔流 この会話が最高である 子どもが竹ちゃんの家に生まれれば良かった 俺もお前が竹ちゃんだった買ってやるよとかいろいろ言うが八五郎さんは動じない 親爺の名前が八五郎というのもサプライズである 噺は凧揚げまで途中で切れる ここまでで21分 ぜひ凧揚げまで聴きたいと思った 江戸にもいないが上方にもいないタイプで人気の秘密がわかるような気がする

2013年7月8日月曜日

東西の人気者が神戸に集まり七夕寄席



神戸文化ホールは900名入る それが満席、昼の部は一般公開か?夜の部は会員だけかもしれないが、あったようだ まず、一之輔登場、自分の子どもをネタにマクラを語ると「初天神」に入った 一之輔の演じる子どもは他の噺家と全然違うから面白い 噺家次第でものすごく面白くなることを証明している 次は喬太郎、もすごくまずくておいしいもの、コロッケ蕎麦と言うが反応悪し、これは東京では受けると言いながら苦笑する光景も 「幇間腹」を演じたのである 続いて出たのが三喬
マクラはクリームパンに輪ゴムが入っていた噺 今朝の起きたことらしい 「鷺取り」を演じた

仲入り前は、市馬 マクラは待ったクラブの将棋の噺 志ん生の将棋が強いわけを明かしてくれたのである 「笠碁」かなと思ったらその通りの「笠碁」 5代目小さん師匠にはかなわないなあと感じた 特に行ったり来たりしているときの「目つき」が物足りなかった

仲入り後は、雀々 自己紹介は「ケイジャンジャン」である マクラはお得意のなぞなぞおじさん おやつは何時(字)?3時(字)ばんごはんは何時?7時 残念 5字でした 大笑い 「さくらんぼ」を演じる これは「あたまやま」なんだけど「さくらんぼ」になっている トリは小枝 昔話の小噺から「小倉船」に 得意中の噺のようだが・・・ オチが分りにくいので???だった
 

2013年6月25日火曜日

アベノミクスの正体 佐藤栄作の正体

安倍晋三首相が絶好調だ これは日本にとっていいのか悪いのか 支持率が70%近い 高止まりというのだろうか ただ無党派層(無糖派層)も多いからそんなに政治は甘くない。
昔昔 五代目柳家つばめ師匠が「佐藤栄作の正体」という新作落語を高座にかけた 寄席では流れたものの音源としては何も残っていない つまり放送禁止になった 佐藤栄作氏はノーベル平和賞受賞者である 正体といえば、悪いことを連想するので禁止になったのだろうか しかしぜひどんなんか一度聴いてみたいものである

佐藤栄作首相と安倍晋三首相は親戚である 安保の岸信介首相も親戚 華麗なる一族である この5月に長嶋茂雄・松井秀喜の国民栄誉賞受賞式があった そのときのやり取りが小噺になっている  安倍さん今日は審判でしたが、本当は何をやりたかったのですか?それはもちろんピッチャーですよ どうしてですか 私は党首(投手)ですから ではピッチャーになったらどこを攻めますか はいもちろん内角(内閣)ですよ キャッチャーはどうですか キャッチャーもいいね 保守(捕手)ですから バッターだったらどういう風に打ちますか はいライト(右翼)狙いです はい安倍さんありがとうございました 安倍さん最近体がしんどそうですが どこか悪いところがありますか よく聞いてくれました 心臓(晋三)が少し悪いのです
民主党の時は、フランケンシュタイインがいたり(岡田)、ミイラがいたり(興石)して混乱したが今のところ安全運転をしている しかしアベノミクスの正体は如何に

 

2013年6月13日木曜日

笑福亭松喬師匠ガンバレ

 
松喬師匠は六代目笑福亭松鶴師匠のことを「おやっさん」と呼んでいる。六代目は桂文枝とともに上方落語界の総本家である。初代は若いときに松喬と名乗っていた。六代目の家の近くに住んでいたことがある。今の無学のある場所とは違っていた。住吉の新地市場の近くである。実際に見に行った。長屋であった。六代目は島之内寄席で何回も聴いたが、一番好きなのは「相撲場風景」である。

松喬師匠は六代目の4番目の弟子。仁鶴、鶴光、福笑、次が松喬である。松枝、呂鶴、鶴瓶と続き、最後の弟子が鶴二である。多士済々というのはこのことを言うのだろう。松喬師匠が書いた「おやっさん」には稽古のことなどが書かれている。結構我儘であったようだ。弟子は大変だっただろうなと思う。笑福亭にはお酒の噺が似合う。六代目が素晴らしい噺家を育てように、松喬師匠も長生きして素晴らしい弟子を育てて欲しい。既に三喬、生喬さんは育っている。私の好きな喬楽さんも殻を破って笑わして欲しい。普段の会話が面白いので、漫談風にやればいいのではないかと思う。ガンバレ松喬師匠。

2013年6月12日水曜日

松喬一門会


八日(土)松喬一門会があった。楽しみにしていた。松喬師匠がどんな噺をしてくれるのか?お客さんは超満員。4時30分からの整理券配布から行列、私は105番。5時30分に並びなおして入場。まず、喬介さんが「つる」、風喬さんが「借金取追撃法」、喬楽さんが「八五郎坊主」と続いた。仲入り前は三喬さんの筈であった。しかし、喬介さんは迷いながらめくりを出すとなんと松喬師匠。ええ、どうしたん。

松喬師匠は、元気がなかった。絶不調と言っていた。最近の落語会は全部断っていたと話された。今日と明日は一門会。この日に備えたのだろう。確かに声も張りがなかった。自分の声が出ているのかどうか不安と言っていた。声はよく聞こえる。大丈夫ですよと言いたかった。短い噺でご勘弁を。「犬の目」だった。きっちり演じてくれた。お客さんも心配していたが、無事終わった。割れんばかりの拍手。温かい目で見守った。誰も何も言わない。これでいい。無理しなくて良いと思った。仲入り後は、生喬さんが「怪談猫魔寺」、三喬さんが「近江八景」を熱演した。弟子たちが頑張っている。

2013年6月4日火曜日

宿場寄席のトリは月亭八方師匠


楽しみにしていた「宿場寄席」。第91回だそうだ。年に3回程度の開催だから30年も続いているのか?トリは松喬さんの予定だったが・・・。残念。体調不良で代演と出ていた。月亭八方師匠だ。松喬師匠の体が心配になる。8日・9日は松喬一門会がある。8日に行く予定にしているのだが、大丈夫かなと、それに備えて無理をしなかったのかなと思いを巡らす。

さて、八方師匠の落語は久しぶりだ。65歳になったという。若く見える。文枝襲名披露でパリに行ったことをマクラで話した。これが実に面白かった。間の取り方がさすがだ。健康診断・人間ドックにの話から本題に入る。噺は船場の大旦那さんの倅が病に防ぎこんでいるところから始まる。はじめは「崇徳院」かなと思っていたら「千両みかん」であった。10粒で千両、倅は元気になり、3粒残して、両親と番頭にと言う。番頭1粒100両に目がくらんで逃げた。このオチは面白くて悲しい。しかしやはり八方師匠は笑わすコツをよく知っている。松喬師匠もこのみかんで元気を取り戻してほしいと願う。

近江八景


笑福亭三喬さんが「近江八景」を演じた。初めて聴く噺である。ここは草津の宿場、本人は「滋賀に来て是非やりたかった落語です」と言っていた。他にも滋賀が舞台の噺はたくさんあるとのこと。私の知っている噺は「指南書」である。これは福郎さんから聴いた。急がば回れの諺は指南書から出たとのこと。大津から草津に行くのに近道の舟に乗ったら遭難、全員が亡くなった。近道は危ない。急いでいる時こそゆっくり歩いて行こうでいいじゃないかというお話。草津の名物の「うばが餅」が出てくる。

三喬さんは本当に上手い。聴かせる噺家である。近江八景は占い師と占いを見てもらう男の噺である。二人の会話が実に巧みだ。八卦をさわる手つきも上手だ。最後の最後に近江八景が出てくる。オチは膳所=ぜぜ=お金で終わる。あまり聴いたことがない噺であり、やはりご当地での落語会ではうける。お客のほとんどが滋賀の方、それも年配者が多いので皆さん満足しておられた。ちなみに矢橋の帰帆、粟津の晴嵐、瀬田の夕照、石山の秋月、三井の晩鐘、唐崎の夜雨、堅田の落雁、比良の暮雪。というのが「近江八景」。膳所がないのがオチにつながる。

2013年5月19日日曜日

新歌舞伎座完成


4月2日(火)が杮落し。何故2日かと思ったら大安であった。杮落しの前に銀座でお練りがあったので覗いてみた。雨の銀座、1丁目から4丁目までのお練り、ものすごい人であった。勿論、女性ばかり。傘で前が見えない、わずか橋之助さんの顔を見ることができた、お練りの後に新歌舞伎座の前に移動した。大きな建物である。地下に切符売り場と待合所ができていた。広場のようで、コンビニもあった。行列していたので何かと思ったらコーヒーのサービス、東京のおばちゃんも大阪のおばちゃんと同じ。東京は見栄を張って並ばないのだと思っていたら違う。おんなじ。

歌舞伎の屋号は時々落語のマクラにも出てくる。成田屋、播磨屋、成駒屋、中村屋、高島屋、・・・・
松坂屋、・・阪急、大丸、・・・、島屋、だしの素・・・など、吉弥さんなど歌舞伎好きが振るネタである。今や歌舞伎は庶民にとって高値の花であり値段は高い。落語は庶民のお楽しみであるが、昔々は歌舞伎も庶民のお楽しみであったようである。七段目などを聴くと丁稚さんもしばしば通っていたようである。

勢朝さんの南京玉すだれ


ええ さて、さて、さては南京玉すだれ・・・と演じるのは桂勢朝さん、豊田亭での一幕、噺家の余芸を披露していただいた。勿論、落語が終わってからのサービス。南京玉すだれを観るのは始め手の方ばかりだろう。釣竿やお釈迦様に代わる玉すだれにお客さんは拍手喝采、時々間違うのもご愛嬌だった。余芸では、生喬さんの踊り、奴さんが好きだが、たいていの噺家は持っていると思う。地域寄席では時間があるのでそれがお楽しみとなる。

勢朝さんは歌が上手い。今日のネタは歌を存分に入れていた。永田町の宴会という創作落語を演じたがこれが勢朝さんの十八番。昼席は勘定板だったが、夜席は永田町、各党の政治家がそれぞれの持ち歌を歌う。替え歌にして笑わす。繁昌亭ライブでバスガイドの噺も聴いたがこれも同じようなものであったが、最高に面白かった。なにしろ人間国宝桂米朝さんの秘蔵子である。伊勢の出身で勢、米朝門下で朝、いい名前である。江戸にも勢朝さんはいるが、春風亭である。そういえばこの方も創作というか楽屋ネタで笑わす名人である。群馬県の伊勢崎出身で勢の名前が。桂勢朝さんは地元の川の名前を入れるなどサービスたっぷりの噺家である。

2013年5月11日土曜日

「いかいの寄席」の3人そろい踏み


連休中のお楽しみは寄席が一番。27日は桃谷で「いかいの寄席」に参上。喬楽さん「宗論」、新治さん「禁酒関所」、鶴二さん「ねずみ」。3人はこの地域の出身。そこで始まった落語会。諸般の事情で今回で中休みをとるとの挨拶があった。エエホンマかいな。そういう節目の日に来たとは。3人が揃って最後に挨拶を。落語では出てこない雑談が面白かった。滅多にみられない光景であった。

喬楽さんの「宗論」は、先日、松喬さんの十六夜で聴いたばかりで、今日はどうかなと思っていたら同じように面白かった。鶴二さんの「ねずみ」はご存じ左甚五郎の噺、江戸落語の舞台は仙台だが、上方は岡山。祭りすしが出てくる。また、ぼっこうおえりゃせんと岡山弁を使っていた。さすが鶴二さん。感心した。新治さんの「禁酒関所」は、江戸では禁酒番屋、近藤の旦那も松本に代わる。新治さんも即興でクスグリを入れて大笑い。それぞれ味わいのある噺家のそろい踏みの舞台が復活することを祈念します。

2013年4月12日金曜日

松喬十六夜 3夜


遂に十六夜を鑑賞。バスで直ぐの阿倍野。500名位入るだろうか?15時開演。14時30分にはロビーがごった返していた。次回のチケットも購入した。三喬さん、生喬さんの顔も見えた。二人とも押しも押されぬ上方落語協会の人気者。松喬師匠が立派に育てた。さて、本日は開口一番で喬楽さんが「宗論」を演じた。汗かきですと自ら話すように、盛んに顔を拭いていたのが気になる。途中でクスグリを入れて笑わしていたのは立派。オチは奥州とか江州の方が良いのでは?アラーもサプライズだけれど。続いて梅團治さん、ここは師匠の春団治さんのお得意の「野崎詣り」、途中は師匠譲りの口調を連想できて良かった。内海英華さんの女道楽も艶・艶・艶、きれいな人である。内海カッパさんに師事りしていたのか。

松喬師匠は、「寄合酒」と「貧乏花見」を演じた。さすが、笑いのタイミングを心得ていらっしゃる。松喬師匠のひとつひとつに聞き入っていた。今日は病気の話はしなかった。しかし絶えず自らにプレッシャーをかけているとか。素晴らしい精神力だ。この十六夜もだんだんお得意が出るような話をしていたのでこれからが楽しみである。まだ3回。これから佳境に入る。それにしても本当に素晴らしい話芸である。何回聴いても面白い。もっともっと聴きたい噺家である。長生きしてほしい。ブログも楽しみにしています。

2013年3月23日土曜日

新宿末廣亭


末廣亭は、代表的な寄席小屋である。東京にいたときは良く通った。あの頃は昼夜入替があった。今はないそうで昼から夜まで続けて見られる。他の定席と違うのは、サイドに桟敷がある。くつろげる空間である。この日は落語芸術協会の番組であった。落語協会とは違い知らない噺家が多かった。米丸師匠が出ていたようである。

ところで、古今亭菊の丞さんが藤井彩子アナと結婚するというニュースを見た。おめでたい話である。菊の丞といえば落語界の人気者である。歌舞伎役者のような顔立ちであり、噺も上手い。浅草では「紀州」を語った。紀州は和歌山と尾張の後継者争いの話である。短い噺ではあるが、落語らしくよくできている。水戸を含めた徳川御三家もこのころは安泰の時代だったようである。「八重の桜」の時代は徳川末期で激動の時代であった。やはり平和な時が良い。

2013年3月9日土曜日

三遊亭歌之介の竜馬伝


浅草演芸場の昼の部の主任は歌之介さん。何を演ずるかと楽しみにしていた。十八番の「竜馬伝」であった。満員のお客さんの期待に応えたかったのかな。マクラは安部総理、麻生副総理、小渕優子議員と会食した時の話だった。鹿児島出身の代議士さんの集まりで最近集まったとのこと。顔はもっとふくくらしているように思ったが、少し痩せていたように思えた。

さて、「竜馬伝」のストーリーは大体知っている。何回も聴いている。しかし、今日のクスグリは最近の話題も取り入れて楽しかった。趣味のマラソンとか沖縄、フランス語の話は出てこなかった。森元総理の話、クリントンではなくクリキントンの話は大爆笑であった。こんなに1分間に何回も笑わす噺家はいない。次から次へと笑いが展開するのは見事だ。落語というより漫談か?そういえば、演芸図鑑に洋服で出ていたな。さすがそのときは遠慮していた。しかし今日はナマであるから言いたいことを全部言っていた。時間も40分くらであっただろうか。上方にはいないタイプの噺家であることは間違いない。

今日は、初めての噺家がたくさん出てきた。馬石、文楽、三平、文左衛門、柳朝・・・。みなさん個性があって楽しかった。

2013年3月7日木曜日

浅草演芸場は満員御礼


3月上席の番組。11時30分に入場。前座はふう丈で「やかん」。柳家いっぽんで「弥次郎」。歌扇「元犬」鬼丸「創作落語(学生時代に下北沢の駅での出来事)」一度聴いたことがあった話だ。落語は隅田川馬石の車屋の噺、ほくろが印象的で、なかなか噺が上手い。有望株である。五街道雲助師匠の弟子であるから桃月庵白酒も一門。全部別々の名前を名乗っているらしい。さん吉師匠は売店のはちみつ饅頭の宣伝だった。(仲入りで売店で240円で買ったが美味しかった)三三さんは「紀州」玉の輔さんは「悋気の独楽」、文楽師匠は「替り目」、なかなか貫録のある噺家だ。三平は「奥様のサチコさんの噺」、三平が登場すると明るくなる。大きな目で周りを見渡し、贔屓がいるか確認していたような気がする。続いて白鳥の代演の文左衛門は「寄合酒」、迫力があった。仲トリの前は馬風師匠の楽屋話、

仲入り後は、多歌介「漫談のようなもの」、一之輔の代演の柳朝「町内の若い衆」、続いて圓歌師匠だった。圓歌師匠は、相変わらず中沢家の人々のようなもの。座るのは座ったが起き上がることができないということで弟子の手を借りて楽屋に戻った。さあ昼の部の主任はお目当て「歌之介」さん。たっぷり「竜馬伝」を演じた。得意中の得意である。
今日の色物はぺぺ桜井、ダーク広和、ひびきわたる、ものまねの小猫、ストレート松浦、ホンキートーク、一番よかったのは、江戸家猫八の孫の「小猫」だった。

2013年2月24日日曜日

明石家のんきの落語を聴いた

田辺寄席の鶴二さんの会で明石家のんきさんの噺を聴いた。初めてである。笑福亭松之助師匠の息子であることは知っていたので、どんな人かなと思っていた。イメージと全然違う人だった。今年で46歳とか。上方落語協会にも最近復帰したようである。繁昌亭にも出てくると思う。ヘアスタイルに特徴がある。リーゼントスタイル。大柄なので目立つだろうな。ロック歌手もやっている。昔々阪急電車で松之助師匠の隣に座ったことがある。師匠は文庫本を読んでいた。読書家であるようだ。今年88歳。米朝師匠、米丸師匠と同い年である。お元気なのが良い。目玉の松ちゃんというだけあって目が大きい。

さて、噺は「ふたなり」。誰だか忘れたが一度聴いたことがある。栴檀の森とも言うらしい。あまり楽しい噺ではないが、こういう噺もあるのだと思った。のんきさんは父親譲りの話し方でこれから期待したい。名前の通りのんきな噺を期待したい。

2013年2月20日水曜日

田辺寄席 鶴二さんたっぷり

2月の田辺寄席夜席は「新・じっくりたっぷりの会-笑福亭鶴二の段」であった。宿替えと口入屋の2席を聴けた。宿替えは江戸では粗忽長屋、口入屋は上方だけの噺のようだ。少し前に到着したら鶴二さんがおられたので、昨年末の京都南座の「にしん蕎麦」松葉での写真をお渡しした。少し話をしたのであるが、鶴二さんは終始ニコニコ。笑顔がとても良い。顔なじみもたくさんおられて人気者であることがよく分かる。

口入屋のマクラは師匠の6代目松鶴師匠宅での修行時代の話。これが最高に面白かった。皆さん、通の集まりなので、師匠を思い出して笑っていた。噺の稽古は全然なかったようだ。最初に覚えたのが平林とか。初舞台でとちったとか。信じられないが。それにしても松鶴師匠は伝説の人である。口入屋は仕草が見どころの話である。また女子衆さんがなんでもできる人で、その言い方が面白い。あほだら経にほら貝とかのろしの揚げ方など次から次へと出てくるくだりがでてきて吹き出す。鶴二さんは達者な噺家であるとつくづく思う。これで2月は、3日、10日、16日と毎週のようにライブで聴いたことになる。3月も頑張るぞ。浅草演芸ホールに行く予定である。

2013年2月18日月曜日

南光さんの火焔太鼓


動楽亭の中トリは桂南光さん。さすが人気者だ。テレビの影響は凄い。「べかこ」時代から売り出していたので関西人はたいてい知っている筈だ。米朝門下の枝雀の弟子の南光になるが、今やざこば師匠と南光師匠は米朝師匠を支える両巨頭である。この動楽亭もざこば師匠の小屋であるから米朝門下はたくさん出ている。核は南光師匠、米二師匠、米團治師匠というところか?

さて、マクラは北区老松町での骨董屋巡り。趣味でよく行くと言っていた。老松町と言っても知らない人が多いかもしれない。与力、同心など昔昔、近辺にお裁きがあったところである。今は少し残っているかもしれないが、名称変更でなくなった地名が多い。マクラが骨董屋ならば、火焔太鼓だろう。さすがお金持ちは住友はん。頼んないご養子さんが太鼓を買って来る。300両で売れるという目出度し目出度しの噺。サゲは半鐘を買うところまでいかず、夫婦仲良く暮らしたということで終わった。なにやら肩透かしを食らった感じだったが、こういう噺もあると思った次第である。

動楽亭で米團治の不動坊


3連休の中日の10日に初めて動楽亭に行った。我が家から歩いて約40分弱。一度行かねばならないところだと思って調べたら、今日の出番はまん我、南光、米團治とある。これはこれは聴きたい噺家ばかりである。13時開演、12時前に動物園前に到着、あれれ既に長蛇の列。係りの人が慌てて人数を数えていた。開演を速めて12時15分頃に開場。なにしろ初めてなのでどれだけ入るのか分からない。2000円の木戸銭を払って中に、座布団が敷いてあった。100名~130名くらいか?どんどんお客が入ってくる。通路まで座布団が入る。聴くところによると始まって以来の超満員。いつもは一桁の日もあるとのこと。

トリは米團治さん。前の方で聴いたので、米朝師匠と表情が似ているのが分る。噺は「不動坊」。米團治さんは芝居物が得意だが、これも芝居物ではないが、上方落語の代表作で米團治さんに似合った噺であると思った。遊芸稼ぎ人の講釈師不動坊火焔の後家さんと金貸しの利吉さんの縁談を面白くないと思っていた独り者3人が、不動坊の幽霊になって二人を怖がらすというシナリオ。しかし落語はそうはうまくいかない。失敗失敗。サゲは幽霊稼ぎ人です。落語らしい落語で楽しませてくれた。さすが、米團治さん。顔もいいし、謙虚さもあってさすが人間国宝の長男だけはある。写真は高座が終わって撮影。後ろの額には人間国宝が書いた「楽」が8つあった。5つあればほんまの楽語(落語)だったのに。

2013年2月7日木曜日

二葉さんの道具屋

桂二葉さんは初めてだった。米二師匠の2番目のお弟子さん。二からとって二葉。にようと読む。やまだりよこさんのマガジンで「爆発頭」と紹介されていた。アフロヘアーである。昔々笑福亭鶴瓶さんがしていたヘアスタイル。二葉さんはこれに憧れていた模様。よく聴くと「ブロッコリー」が好きで、そのイメージだとか。まだ2年も経たないとのことで、繁昌亭には出番がないようだ。3年経たないと出れないとのこと。背の高い、上方落語会にはないタイプのお嬢さんである。子ほめではないが、モミジのような手をしているかな。

本日の一席目は「子ほめ」。二席目は「道具屋」。まくらはふたつともアホの話で皆を笑わしていた。二席とも一生懸命演じているのが伝わってきた。米二師匠から基本をきっちり教え込まれているので聴いても安心。師匠は正統派であるので、二葉さんもしっかり頑張って欲しいと願うばかりだ。頑張れ、二葉さん。
 

米二師匠の茶の湯

桂米二さんは、京の噺家として有名である。その米二師匠とある落語会の打ち上げの会でご一緒させて頂いたのである。師匠は以前、日経新聞にブログを書いていたのを楽しく読んでいたのでどんな方かなと思っていた。その後「上方落語十八番でございます」が日経から出て、早速購入したのである。その本には人間国宝の米朝師匠に弟子入りした経緯が詳しく書かれていた。その本に先日サインをしていただいた。大事にしないといけない。

さて、米二師匠は「茶の湯」。2席目は「初天神」であった。茶の湯も初天神もたっぷり。時間を気にしないフルバージョンで楽しかった。茶の湯は、ご隠居さんが退屈をまぎらわせるために茶の湯を始めるというのが舞台の設定だ。青黄粉に椋の皮を入れて泡立たせ「風流だな」。甘い菓子も代用するありさま。食えたものではない。呼ばれた客人が便所から投げるとお百姓に当たった。お百姓さん手で払いながら「また、茶の湯か」これがサゲ。しかし縁者によってこんなに違うものか?やはり名人上手にかかると落語の楽しさが倍増する。繁昌亭ライブは時間が限られているので、たっぷりとはいかない。その点、落語会は良く満足する。

2013年2月3日日曜日

厄払い

2月になり、今日は節分。京都の吉田神社では追儺祭が賑やかに行われている。吉田中大路町に下宿していたので1年に1回は観ていた。明治の中頃までは「厄払い」屋というのがあったらしい。1月31日までは正月。31日に町内を回っていたようだ。先日の繁昌亭で九雀さんが落語の「厄払い」をやっていた。調べてみると江戸と上方では「オチ」が違う。よくある話だが、比べてみるとどちらも面白い。

米朝師匠の「厄払い」を聴いた。テンポも速く、軽快な噺だった。鶴は千年を鶴は十年というところがある。十と千はシャッポがあるかないかの違い。シャッポを忘れていた・・・。鶴が帽子を被るか?「ツルクハット」など駄洒落を挟み、「オチ」は、雨が降って来たな?これは縁起が良いことか悪いことか?と主人が言うと、番頭さんが「降る(つる)は千年」「雨(かめ)は万年」
これに対して小三治師匠は、東方朔(前漢の文人)は八千歳とあるところを朔の字を与太郎が読めず、とうぼう・・・・と詰まり、逃げて行く。番頭さんがああ逃げて行きますよ、主人「ああとうぼと言っていた」
判定は上方、米朝師匠の若いころの噺はリズムがある。さすが名人上手である。ところで今日は巻きずしの丸かぶりとか、食べてみるか?

2013年1月20日日曜日

談春 三本締め



昨年末に談春12か月独演会の公演があった。神戸・大阪で毎月行った最後の公演は、満席。さすが人気者である。一昨年は談志師匠が亡くなった直後で、今回は中村勘三郎さんが亡くなった直後であった。勘三郎さんの想い出話をマクラにあげた。勿論、談志つながりで交流ができたのであると思うが、勘三郎さんの人柄が偲ぶものであった。昨年2月の平成中村座での談志追悼公演ではあんなに元気だった勘三郎さんが逝くなんて到底想像できないことだった。

談春さんは御存知競艇が趣味である。競艇の選手になることが夢だったと「赤メダカ」に書いてあった。マクラではギャンブルの話から入って、「富久」を演じた。丁度、2週間前に日本の話芸で可楽さんがやっていたのでストーリーは覚えていた。ただ面白くなかった。幇間の久蔵が富くじに当たるという噺。人情噺か滑稽噺か分からないけれど、談春さんはたっぷり聞かせてくれた。やはり、話芸のように30分では味が出せない噺である。可楽さんも30分以上あれば面白くしたように思うのだがどうだろうか?籤に当たる噺は、高津の富というのもあるが、なかなか縁起の良いものである。この日は、「六尺棒」も演じた。一尺は約30センチだから六尺は180センチ、そういえば木戸のつっかえにしていた棒である。この日は山田りよこさんも来られていて、お話ができたのも収穫であった。(前日、繁昌亭の餅つきでもお会いした)この投稿にと写真を写したのだが、投稿の仕方がわからず残念です。